客演指揮者新田ユリ先生
インタビュー後半


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言葉を選びながら丁寧に語ってくださいました

――音楽をするときには、やはり作曲家の思想や理念を大切にしていらっしゃるのですか?

 もちろん、絶対音楽もあり、音だけを使ったいわゆる音遊びのような作品もあり、そうでないものもある・・。作曲家というのは、色んなシチュエーションで色んな曲を書かなければいけないんだけど、シンフォニーは、自分がこうしたいっていうのを書くもので、ある意味大きな論文でもあるよね。だから、特に交響曲を自分で演奏する時には、その見えてる音の背景に「何かあるぞ」というのを必ず考える。どんなにコンテンポラリーなものだったり、数学的に作られたりしてるものであってもね。なんでそういう音をチョイスしたのかっていうことには、その時々の本人のいろんな考え、哲学、思い、あとはバックグラウンドもあるし時代もあるし、何かが必ずあるはずだということで、特にシンフォニックな曲をやるときには、絶対それは考えますね。

――音楽と向き合う時には、楽譜だけではなく時代背景なども大切になさっているのですか?

 もちろん、その曲がいつ書かれたかは絶対大事ですね。ニールセンが2番を書いた時には3番はもちろん4番も出来てないから、彼の作品の全体を考えることは実はあまり重要ではなかったりするのだけども、これを書いた当時に何が起こっていたかというのは少なくとも知っておくべきだと思う。で、シベリウスや二―ルセンの生きた20世紀越えてすぐの中央ヨーロッパっていうのは、ある意味ぐちゃぐちゃというか。こっからどうなるんでしょうという、いろんな思いが立ち込めていて。逆に北欧は距離がある分だけ、冷静に時代を分析できてるなっていうのが作曲家を見ると分かってきたんだよね。飲み込まれてない。中央ヨーロッパの作曲家たちは、それこそ「ここから先何をやったらいいの?」っていうのがあって、ある意味行き詰まっていた時期でもあった。それでアジアの方にも行ったし、色んな実験的なものを取り入れてやりはじめてた。でも、そこからはシベリウスとニールセンは完全に離れてるのよね。だからこれ(フィンランディア・ニールセンの2番)が書けたっていうのはあって。確かに調性不安定だし、決まり通りに展開しているわけではないし、ソナタ形式といいつつ違うじゃないというところもいっぱいあるけど、そういう逸脱したものを書けたというのはやっぱり距離感があったためだと思う。

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団員の質問に対して真剣に答えてくださいました

――確かに、北欧の音楽は中央ヨーロッパの音楽からは離れているところもありますよね。

 そうですね。中央ヨーロッパのドイツ系の作曲家が辿ってきたシンフォニーに比べて、「そのスタイルやってないからダメ」と言われることもある。まあ二人(シベリウス・ニールセン)とも割と省エネの作曲家だから、空白の時間が長かったりするし、そういうのはおかしいっていう人はもちろん今でもいるんだけども、おかしいんじゃなくて、それがこの人たちの特徴だっていう考えでこっちは読んでいかないとだめなので。そういうところを考えながら読みますね。だって文学とかね、フランス文学ドイツ文学ロシア文学みんなそれぞれの国のそれぞれの言葉で特徴を持って書かれてるっていうのを、わかって読むじゃない。でも、楽譜に関しては、同じ記号をみんなが使ってるじゃない。多分それもあって、中央ヨーロッパでやってないことを他の周辺の人たちがやろうとした時に、クエスチョンマークがつくのは、「それはちょっとおかしいんじゃない?」ってすごく昔から思っていて。特にザルツブルグに短い間研修していた時にそれをすごく思って。やっぱりモーツァルトの生まれた聖地だし、みんながそれを大事にしてるっていうのはすごくよくわかったし、ウィーンに行ってもすごい文化があるしそれもすごいよくわかったんだけど、じゃあ周辺の文化は存在意義がないのかっていったら、やっぱりそれは違う。そう考えたときに、「日本人だってそうじゃない」って。もっと遠いひとつの違う文化圏だけど、私たちはもう同じ音符っていう言葉を読むことができるような民族になってるし。そしたら、じゃあ私はその中央ヨーロッパのものをね、ある意味博物館のように大事にそのまんま次の時代につなげるだけの役割じゃなくて。日本の音楽も、自信を持って自分で語るっていうことにも繋がる意味として、中央ヨーロッパじゃない周辺の文化を、もうちょっと見たほうがいいなってその時にすごく思って。そこからですね、自分が北欧にガッとはまったのは。
 結局、音っていうのは生み出すんじゃなくて、実際にあらゆるところに存在している響きを才能ある作曲家が発見し、聞き取りどうやったら普遍的にみんなに伝わるものにできるのかな、っていうのを編みなおしたのが作曲だと私は思っているので、いくらでもやり方っていうのはあるんだろうなあと思って。だからクラシックの、中央ヨーロッパっていうのは本当はある意味すごく狭い領域なのね。万人がロジックな意味で理解できるシステムを編み出したし、確かに音の原理にのっとって、人が感じ取る能力をきちんと整理整頓した音楽・文化であるから、それは確かにひとつの素晴らしいもので。でもただ、それでは計れない音楽っていうのはやっぱりあるからね。

――最後に、どのような演奏会を京大オケと作っていきたいと思っていらっしゃるかお聞きしたいです。

 どのオーケストラといる時も一番大事にしているのは、どの曲もとにかく自信を持って語ることですね。そのタイプっていうのは色々あるんだろうけども、京大オケのみなさんと作り上げたものが、これがその場では正解とお客さん全員に思って頂けるような、そういう説得力のある演奏をしたいと思う。どこかの誰かの演奏に近いねとか、どこかの誰かの演奏のようにすごいねとか、そうじゃなくって。その聴いてる瞬間には、絶対これしかないとお客さんが思うような。だから演奏者が疑問を持たずに、これから積み重ねられるっていうのを、練習の中で気をつけてやっていきたいと思いますね。

――私たちも、新田先生と素晴らしい演奏会ができるよう取り組んでいきたいと思います。本日はありがとうございました。

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 インタビュー前半後半にわたり、北欧の社会から音楽まで幅広く語って頂きました。多彩な言葉で丁寧に、そして気さくに語ってくださった姿が印象的でした。第193回定期演奏会において北欧の音楽の魅力が自身を持って伝えられるように、団員一同、精進していきたいと思います。
 最後に、インタビューを快く引き受けてくださった新田先生、本当にありがとうございました。

文:193期HP広報部