ブラームス
交響曲第4番
探訪


温故知新

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 交響曲第4番は、第2楽章での教会旋法や、第4楽章でのバッハの主題に基づいたパッサカリアなど古い音楽の形式や手法が多く用いられており、当時の交響曲としてはかなり珍しい曲です。ブラームスはなぜ、ロマン派音楽全盛期にあって、一見時代に逆行するような音楽を書いたのでしょうか。
 ブラームスの生まれ育った19世紀前半は、これまで埋もれた存在だったバッハの再評価が急速に進んでいった時代でした。今でこそバッハは偉大な作曲家として知られており、いつでもどこでも彼の作品を気軽に聴くことができます。しかし当時、バッハは無名の存在で、人々が演奏に触れる機会も多くありませんでした。そんな中、残された無数の作品を次々と目にしていくことで、ブラームスは古い時代の音楽への関心を深め、大きな刺激を受けたと思われます。古い時代の音楽とはいっても、ブラームスにとっては初めて目にした全く新しい素材だったのであり、その枠組みを生かして、当時の方法だけでは成し得ない、音楽の新しい方向性を探ったのではないでしょうか。
 ブラームスが購読していたバッハ全集のうち、第4楽章の「元ネタ」となったカンタータ第150番を収めた巻は、ブラームスが交響曲第4番の作曲に取り掛かったのとちょうど同じ年に出版されており、彼がこの曲から大きなインスピレーションを受けたことが窺えます。彼はこのカンタータ第150番の終曲のシャコンヌ主題に少々手直しを加え、第4楽章の主題として採用しました。ピアノ曲や管弦楽曲など幅広い分野で変奏曲を数多く手がけていたブラームスにとっては、シャコンヌという変奏曲の枠組みは大いに関心を引くものだったようです。

苦悩から?

 この交響曲第4番では、短調の第4楽章はコーダでも長調へ転ずることなく、フェルマータもなく、短調のままあっけない終結を迎えます。この終わり方は当時の交響曲としてはかなり異例です。この理由を考えてみましょう。
 ベートーヴェン以来の交響曲は、短調の暗い響きを最終楽章のコーダで華々しい長調で締めくくる「苦悩を越えて歓喜へ」という図式に大きな影響を受けていました。ブラームスもはじめは、20年間かけて書き上げたと言われる交響曲第1番で、この「苦悩→歓喜」の図式にのっとり大成功を収めました。しかし、それ以降の交響曲で彼はこの図式から距離を置くようになります。第3番では全ての楽章を静かに終わらせるなど、それまでの交響曲の華やかさからは離れた陰影の深さが印象的です。そして第4番では、第2楽章で教会旋法を用いることで暗いとも明るいともつかない神秘的な響きを作り出し、ハッピーエンドを迎えるべき第4楽章にあえて痛烈なラストを用意したのです。ブラームスがこの交響曲第4番で目指したのは、伝統的な図式とは異なる、人間の複雑な感情を描くドラマだったのではないでしょうか。
 ブラームスとほぼ同時代を生きたチャイコフスキーも似たような路線をたどったと言えるかもしれません。彼も交響曲第4番、第5番などでは「苦悩→歓喜」の形式に従っていますが、遺作となった第6番『悲愴』では短調の沈痛な最終楽章が置かれ、救いの無いまま全曲を閉じます。
 こうして見てみると、ブラームスやチャイコフスキーは、ベートーヴェン以来の伝統的なあり方とは一線を画した交響曲を目指していたのではないでしょうか。単純な二項対立では捉えきれない微妙な感情の表現、アンチハッピーエンドのドラマ性など、彼らの手法は交響曲に深い陰影をもたらしています。

 ブラームスたちの後には、壮大なオーケストレーションで果てしない感情の揺らぎを表現したマーラー、人の立ち入れない大自然を思わせる透明で神秘的な世界を作り上げたシベリウス、皮肉に満ちた響きや戦場の陰惨さを思わせる強烈なサウンドを作り上げたショスタコーヴィチなど、個性的な交響曲作曲家たちが続きます。彼らも従来の枠組みとは異なる交響曲のあり方を追求していくことになるのですが、そのモデルのひとつにブラームスの交響曲第4番があるのかもしれません。

【参考文献】
音楽之友社編『作曲家別名曲解説ライブラリー7 ブラームス』音楽之友社、1993年
門馬直美『ブラームス』春秋社、1999年

文:194期HP広報部