19世紀の音楽とブラームス


百花繚乱の19世紀西洋音楽

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 19世紀の西洋音楽の歴史を語ることは、他のどの時代よりも難しいとされています。その理由は、作曲家の個性が作品に色濃く出始めたのがこの19世紀ごろからで、いわば百花繚乱の様相を呈していたことにあります。
 このような状況となった背景の一つとして、音楽を受容する側、聴衆層の変化が挙げられます。
 18世紀まで西洋音楽は貴族、教会と密接に関係していました。すなわち、作曲家たちは自らのパトロンの要請に応じて交響曲、協奏曲、歌曲等と、様々なジャンルの作品を手掛ける“職人”のような存在だったのです。例えばハイドン(1732 – 1809)は、ハンガリーの大貴族エステルハージ侯爵家の宮廷音楽家を約30年間務めました。彼はエステルハージ侯の命で、侯爵のお気に入りだったバリトン(18世紀末まで使われた弦楽器の一種、右図)のための作品を160曲以上書いています。
 しかしながら、18世紀末から19世紀にかけての社会的・思想的混乱(1789年のフランス革命、ナポレオンのヨーロッパ征服の試みなど)の影響で音楽は徐々に市民化されていき、19世紀に入ると、一般市民でも音楽を嗜むことができるようになりました。すると音楽はいわば自由市場となり、作曲家たちはパトロンの需要に囚われることなく、自らの芸術を世間に問うことができるようになります。こうして作曲家たちは、積極的な文化活動を通して自らの芸術の在り方を主張するようになり、作品の個性が多様なものとなっていったのです。

 音楽が市民化されると、洗練された音楽的素養を持つ聴衆の割合が必然的に少なくなり(つまり聴衆の“質”が低下する)、作曲家が注目を集めるには、より大きな演奏効果を生む手法が重要になります。聴衆をアッと言わせるような高度な演奏技術i(超絶技巧)を要求する曲が創作されるのも、この19世紀ごろからです。作曲家のカール・ツェルニーの言葉は、当時の状況を如実に物語っています――「いずれにせよ聴衆の大半は、感銘を与えるよりも、アッといわせる方が簡単な客」「こうした大勢の玉石混淆の聴衆に対しては、何か途方もないものによって不意打ちする必要がある」――
 もう一つ、19世紀の音楽の市民化による影響として重要なのは、「美学的に価値の高い芸術音楽」と「大衆向けの娯楽音楽」――現代で言うところの「クラシック音楽」と「ポピュラー音楽」――がはっきりと分かれ始めたことです。特にパリでは、グランド・オペラと呼ばれる(言ってしまえばかなり質の低い)オペラが流行し、当時の金満家(とりわけ音楽を愛しているというわけではない)たちに贔屓にされていたようです。
 このようにして、19世紀の西洋音楽は通俗的なものとなる傾向を見せますが、それとは真逆の方向の音楽文化が発達したのが、ドイツ語圏の諸国です。

19世紀のドイツ音楽文化

 この頃のドイツの音楽文化を象徴するジャンルは、交響曲、弦楽曲、ピアノソナタ等の、いわゆる“敷居の高いクラシック音楽”を思わせる「器楽曲」で、当時の他の諸国の状況とは対照的です。
 この特異な現象については、ドイツの音楽文化が教養市民層に支えられていたこと、そして初期ドイツロマン派の作家ら(L. ティーク、E. T. A. ホフマン等)の、“現実、言葉(=具体)を超える何か”を芸術に求めようとする考え方との関係性が指摘されます。現実を超えた抽象的、詩的なものを、どのようにして表現するのか? 絵画・文字では、具体的な現実を完全に捨象することはできない――そこで彼らが辿り着いたのが、「器楽曲」だったのです。ドイツロマン派著述家の一人、ヴァッケンローダーの「〔器楽曲は〕一つの隔絶された世界それ自体だ」(岡田, 2005, p.161)との言葉は、その音楽観をよく表していると言えます(ヴァッケンローダーは19世紀には生きていないが、その後の「ロマン主義音楽」の理念を先駆けて立ち上げた人物と指摘されている)。

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 このような思想的背景をもとに、19世紀ドイツの器楽音楽はいくつかの方向に向かうことになりますが、その一つは、文学の着想と純粋な器楽音楽を融合することで、言葉を超えた詩的、内省的なものを表現しようとする立場です。この方向性は、主にベルリオーズやリストii に始まり、ドイツ人作曲家リヒャルト・ヴァーグナー(Wilhelm Richard Wagner, 1813 – 1883, 右写真)ら「新ドイツ楽派」によってさらに推し進められました。ヴァーグナーは自身の論文の中で、音楽それ自体には何の意味もなく、詩的・劇的・舞踏的な要素による「正当化」が必要であるとしており、“絶対音楽”というアイディアを完全に否定していますiii

ハンスリックの美学

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 この「新ドイツ楽派」の考え方はドイツでかなり浸透し、盛んに音楽活動・出版活動が行われましたが、1854年、この立場と根本的に対立する論を展開した書籍が出版されました。それが、ウィーンの音楽批評家エドゥアルト・ハンスリック(Eduard Hanslick, 1825 – 1904, 右写真)による『音楽美論』です。
 彼の主張はおよそ以下のようなものです――音楽は音どうしの芸術的な結びつき以外に中身のないものである。音楽の美しさは、文学的な要素から来るのではなく、音楽自体の中にある。――端的に言えば、“音楽”の内容とは“音楽”以外の何物でもなく、そこから文学的な要素は徹底的に排除されなければならない、というのです。
 そしてこの器楽音楽観、方向性に近いと指摘される作曲家として代表的な人物が、今回演奏する《交響曲第二番》の作者、ヨハネス・ブラームスです。

用語解説

対位法

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