客演指揮者篠﨑先生
インタビュー


プログラムについて

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――リムスキー=コルサコフの『皇帝の花嫁』について、また彼の作風や特徴についてお聞かせください。  

 リムスキー=コルサコフの時代から、イタリアのオペラとは全く違うロシアのオペラの伝統が始まっていて、たとえば扱われるテーマも「皇帝」のようなロシア独特のものが多いんですよね。同じ白人であっても、ヨーロッパの人とロシアの人だとまるで感覚が違う。絶対的な権力が自分たちをコントロールするという文化がロシアには根付いているから、他の欧米諸国と違ってみんなで話し合おうという感覚が薄い。たとえば『皇帝の花嫁』だったら、絶対的な存在としての皇帝がいて、それを取り巻くドラマがある。曲中では金管楽器が絶対的な権力を表すファンファーレを鳴らすんだけど、何があってもそれがバンと出てくるところとかね。
 今回のプログラムの位置付けとしては、演奏会の入口となるし、非常にエキゾチックなメロディーが出てくる曲だから、お客さんにとってもオーケストラにとっても特別な雰囲気が生まれてくるんじゃないかと思います。

――シューベルトの『未完成』について、どのようにお考えですか。

 今回のプログラムの中で一番難しいと思う。この曲は第2楽章までしかないといった秘密の多い曲で、それがどうしてなのかっていうのを長い間議論しまくっているけど、でもそれは答えが見つからないから素敵な話なんだと思う。芸術は答えが見つからない秘密のところに良さがあって、そこに惹きつけられるんだと思います。
 演奏する上でも、第2楽章でなんとか解決させないといけないから難しいけど、この曲に関しては交響曲というよりは、ものすごく関連性のある2曲の交響詩だと考えたらいいんだと思う。交響曲という形があるからできた曲だとも思うけど。
 シューベルトが書いた『未完成』以前の交響曲はせいぜいベートーベンの初期の交響曲みたいな古典的なものだったけど、『未完成』が書かれた時期は自分の感情を表現するロマン派の時代にさしかかる頃だった。そういう背景もあって、この曲では不安や苦しみがよく表現されていると思うのね。第1楽章は低弦の拍子感もないようなメロディーから始まり、けれど、第1楽章の不安は第2楽章の愛情を表すホ長調の明るいメロディーによって浄化されている。まるで自分が音楽によって自分自身が救われるような感覚を表してるんだと思います。
 僕は彼の音楽を理解する上で、彼の歌曲を聴いてほしい。『水車小屋の娘』とか『冬の旅』、特に『冬の旅』は素晴らしい。曲の中でずっと短調を使っている所に、急に長調がふわっと入ってきたりして。この世では探しえないような美しさとかそういうものを音楽で表現できたという意味で彼は天才よね。

――今回対向配置にした意図、理由についてお聞かせください。  

 1950年代まではずっと対向配置だったっていうのが大きいかな。普段ない配置で新しい環境を作り出せたらと思ったので対向配置にしました。そんなに珍しい配置じゃないし、もちろん一丁上がりに曲を作り上げることは出来ないけど、古典派の曲は普通の配置だったら聞こえづらい内声、特に刻みがすごく聴こえるのね。なので、僕としてはプロコフィエフもそうだけど、シューベルトでの演奏効果を狙っています。

――プロコフィエフの〈交響曲第5番〉について、彼の音楽についてどのようにお考えでしょうか。

 プロコフィエフはワーグナーみたいに戦って国を盛り上げようとするタイプではなくて、自らの音楽を発表する場を求めてアメリカやヨーロッパに行き、ピカソとかココ・シャネルとかと会っているわけよ。その時最先端の芸術の考え方っていうのがあって、それを彼はたっぷり得てロシアに帰ってきたのね。
 〈交響曲第5番〉の出だしのところなんかは非常にあっけらかんとしているんだけれども、曲が進んでいくうちにどんどん意味合いが膨らんでいく、というような書き方をしているのかなあと思う。第2楽章のところはロシア的なメロディーではあるんだけど、第3楽章になってくると弦楽器が高い音域を使って全く違う新しい音楽を作るのね。
 だから彼の音楽は、ロシア的なものとフランスのモードがうまく融合したものであり、世界大戦を契機にプロコフィエフが自身を生々しく見つめた結果が、この曲に現れていると思う。ロシアに帰ってきてからの彼は、私小説のような形で作品に自分を当てはめることによって、ロシアへの愛情を表すことをとても大事にしていたんじゃないかな。

――プロコフィエフのおすすめの曲があれば教えてください。

 メロディーとストーリーがわかりやすいという意味では〈ロミオとジュリエット〉。それと、ピアノ協奏曲も聴いてほしいな。プロコフィエフの作風がものすごく表現されていて、ピアノも透明感があって綺麗なんだよね。
 プロコフィエフとは離れるけど、当時の色々な芸術作品もぜひ目にしてほしい。〈交響曲第5番〉では、メロディーがあるなかで対旋律が入ってくるときに、それぞれがはっきり分離しているくらいわかりやすいでしょう。当時のヨーロッパやロシアの文学とか絵は、例えばピカソもそうだけど、ひとつひとつのテーマがはっきり分離していて、それが合わさってひとつの造形物ができる。だから音楽も決して音だけじゃなくて、音からビジュアルも浮かぶような時代だったんですよ。だから、この時代の芸術作品を見て色々なデフォルメの様式を感じてほしい。それが、アクセントなんかのアーティキュレーションの解釈を助けてくれるから。音楽だけじゃなくて、その当時のいろんな芸術がリンクしていけば面白いんじゃないかなあ。

京大オケについて

――過去京大オケと共演して感じた事や、今の京大オケに求めるものをお聞かせください。

 まだ過去に1回しか来てないけど、15年前に来たときに団員に「『今』を演奏してくれ」って言ったことは覚えてるね。芸術というのはその時代の新しい風とか、その瞬間を表すもので。特に音楽の場合は時間芸術だから、昔とおなじものをずっと作り続ける、ということではではないと思うんだよね。たとえば、今日素晴らしい演奏ができたとして、じゃあ明日もできるかっていったらできないし、そうすることにはまったく意味がない。そんなこと気にしても、今出てる音が音楽なのだから、上手い下手を気にするくらいならこの場この瞬間で今やってることを大事にしてほしい。
 あともうひとつ、「演奏会が終わったあと、ひとつでもいいから自分のパートがよかったところを考えてほしい」とも言ったね。悪い所を探すよりもそっちのほうが難しいし、いい所を探すことをいつも意識してないと人に聴かせられる音楽にはならないから。オーケストラで演奏するのなら、自分たちのパートだけで頑張るのではなくて、指揮者や仲間がいる中で自分たちはこういうことができるんだっていうのを増やしていかないといけない。良くないことを消していっても、良いことは増えない。もちろん良くないことは消さないといけないけど、本番の時に、いい所が一番前に出るように演奏することを大事にしてほしい。だから最低1つ、自分のパートがすごくよかったところを演奏会が終わって言えるようにしてほしいな。

――演奏会に向けて普段の練習からどのような姿勢でいるべきか、また先生の演奏会に対する意気込みをお聞かせください。

 一番困るのは、なんの意図もなしに演奏すること。それだと、周りの演奏者も何をやっているのかわからない。だから本番までに、どんどん自分のアイデアを音楽的に出してほしい。難しいことだけど、それだけで音も気持ちも変わるし、それでごちゃごちゃしても最後に僕がまとめるから。僕もずっとこの仕事してるし、本番まで試行錯誤の時間は続くのね。自分がこういうことがやりたいっていうのを普段の練習の中でやってみると、本番を経て、その次が変わってくる。ひとりが主張すると他のどこかが壊れるけど、そこはあとから直せばいい。だから決して、みんながおとなしくしてなんとなく傷を減らして普通の演奏にするんじゃなくて、みんなが曲にアプローチをかけてほしい。もしかしたら自分一人目立ってしまうかもしれないけど、それでいい。どうせ目立つところがあるんだったら堂々と目立ってやろうっていう演奏をすればいい。基本的な部分はセオリーから外れてはいけないけど、それを積極的に演奏しないための免罪符にするのはよくないよね。いろんなことを身に着けて、ひとりひとりの可能性を引き出して、本番を迎えられたらいいね。

――お忙しい中インタビューを引き受けてくださり、ありがとうございました。  

 インタビューを通して、篠﨑先生の各曲に対するこだわりや、先生が京大オケに求める音楽への姿勢を伺うことができました。練習だけではわからない篠﨑先生のお考えを聞くことができ、非常に有意義なものとなりました。演奏会では、先生と共に今の京大オケが出せる最高の音楽をお届けしたいと思います。
 篠﨑先生、お忙しい中ありがとうございました。