「鐘」、正教会音楽とラフマニノフ


引用元:Wikipedia

はじめに

 チャイコフスキーの『大序曲「1812年」』は彼の作品のなかでもとくに有名なものの一つですが、この作品の冒頭ではチェロとヴィオラによってロシア正教会の聖歌が引用されます(映画『のだめカンタービレ最終楽章 前編』において、この箇所をチェロパート員が必死に練習する場面がありました)。またこの曲のクライマックス、ナポレオン軍を撃退したロシア帝国の勝利を盛大に祝福する場面において、ここぞとばかりに鐘が鳴り渡ることもこの作品の演奏効果を壮大なまでに高めています。
 この「正教会音楽」と「鐘」――実はこの二つこそ、ロシア音楽を語るうえで欠かせないキーワードなのです。
 今回の第198回定期演奏会で取り上げる『交響曲第2番』の作曲者セルゲイ・ラフマニノフ(1873-1943)は、この二つのエッセンスを巧みに用いた作曲家でした。ラフマニノフといえば、彼の代名詞ともいえるピアノ協奏曲や、綿々とロマンティックな音楽が繰り広げられる管弦楽曲に注目が集まる傾向がありますが、この「正教会音楽」と「鐘」というキーワードに視点をあてることで、より深くラフマニノフの音楽を理解できるのではないでしょうか? 本記事においては、ロシア文化において「正教会音楽」と「鐘」が占めていた役割をふまえたうえで、ラフマニノフの音楽を考察します。

 

正教会音楽

 西欧のカトリックとは異なる歴史を歩んできたロシア正教会では、宗教音楽もまた西欧とは異なる発達を遂げてきました。正教会は、「人間の声のみが神の声をもっともよく伝える」という初期キリスト教の教えを守り続けています。このため、現在にいたるまで聖堂では楽器の使用が禁じられており、その結果として、ロシアでは無伴奏歌唱による宗教音楽が発達することになりました1
 17~18世紀にかけて、ロシアでは皇帝ピョートル1世(1672-1725)のもとで西欧化・近代化政策が進み、これ以降ロシア音楽も西欧音楽の影響をつよく受けていきます。宗教音楽においても、西欧の和声論理を用いた作品が数々登場しました。19世紀に入ると、「ロシア音楽の父」とよばれたグリンカを先駆者として、チャイコフスキーやリムスキー=コルサコフなど現代にも名を残す大作曲家が数多く登場し、ロシア音楽は名実ともに黄金時代を迎えます。彼らの作曲活動においても正教会音楽は重要な位置を占めており、それはラフマニノフにおいても同様だったのです2

「鐘」とロシア音楽

 機械仕掛けの時計など存在しなかった近代以前において、遠くから聞こえてくる鐘の音は、人びとにとっては時間を知ることのできる貴重な実用手段でした。
 ことに、ロシアにおいてはこうした「鐘」の存在感は非常に大きいものでした。教会の勤行開始を知らせる鐘、婚礼を祝う鐘、祭りの際に華やかに打ち鳴らされる鐘、敵襲を告げる鐘、死者への弔鐘…人生のあらゆる場面において、鐘は人びとのそばにあったのです。鈴はロシア語では鐘の愛称型で呼ばれ、魔除けとしても用いられました3。ロシア語に「鐘」という語を用いた慣用句が多く見られることも興味深い事実です4。「鐘」は、人びとの心の中において、実用的な意味を越えた、非常にシンボリックな存在だったのです。
 また、ロシア正教会と密接な関係を結んでいたロシアの歴代の皇帝は、教会の鐘を鋳造させ、そこに自らの名を刻むことで教会の庇護者としての自らをアピールしていました。こぼれ話になりますが、現存する世界最大規模の鐘は、モスクワのクレムリン宮殿に展示されている通称「鐘の皇帝(ツァーリ・コロコル)」です。その高さはなんと6.14メートル、直径は6.6メートル、重量は約200トン…。ちなみにこの鐘は18世紀に鋳造されて以降今日にいたるまでついぞ鳴らされたことがありませんが、クレムリンのシンボルとして鎮座し続けています5。このことからも、ロシアにおける「鐘」という存在が単なる実用機能以上の意味をもっていることがわかります。

ラフマニノフと正教会音楽、「鐘」

 西欧クラシック音楽においても、鐘という楽器やその音色の模倣は重要なモチーフとして用いられてきました。ベルリオーズの『幻想交響曲』などはこの代表的な例でしょう。そして冒頭で挙げた『1812年』や、圧政への怒りの象徴として終楽章で鐘が響き渡るショスタコーヴィチの交響曲第11番『1905年』など、ロシア音楽においてもやはり「鐘」は象徴的な意味合いを持っています。ラフマニノフはこの「鐘」というモチーフを積極的に音楽に反映させました。 彼が幼少期を過ごしたオネーグ村は、ロシアの古都ノヴゴロドの北60kmにありました。遠くから聞こえてくるノヴゴロドの鐘は文字通り「音に聞こえた」鐘であり、その鐘をつく鐘楼守は当時のロシアでは尊敬を集める職業だったといいます。ノヴゴロドの鐘とともに育ったこの幼少時の記憶も、ラフマニノフの音楽と「鐘」の関係を語るうえで無視できないエピソードです6
 フィギュアスケートの浅田真央選手が用いたことで有名な前奏曲『鐘』や『ピアノ協奏曲第2番』の冒頭など、ラフマニノフの作品中で鐘のモチーフがしばしば用いられていることは広く知られていますが、ここでは彼の円熟期の傑作と呼ばれる合唱交響曲『鐘』作品35に注目してみましょう。
 1913年に初演された合唱と独唱つきの交響曲『鐘』は、エドガー・アラン・ポーの詩『鐘』のロシア語訳をテクストに用いています。四つの楽章にはそれぞれ副題が付されています。若き日を表す「銀の鈴」、婚礼を祝う「黄金の鐘」、火事ひいては騒乱を告げる「銅の鐘」、葬送の弔鐘である「鉄の鐘」…四つの「鐘」が人間の一生に重ね合わせられているのです。
 この作品で描かれる「鐘」の様々な顔は、ロシアの文化において鐘がもつ深い意味合いをわれわれに伝えてくれています。ラフマニノフの作品における「鐘」は、単なる効果音のみにとどまらないものを示唆していることがうかがえるでしょう。

 一方、ラフマニノフはロシア正教会音楽の最高峰にまで到達した作曲家でもありました。ちょうど彼のキャリア絶頂期にあたる19世紀末から20世紀初頭にかけて、ロシア正教会では典礼音楽の改革運動が起こっていました。西欧化以前の聖歌の歴史がしだいに解明され、それに基づいた、西欧音楽の理論にとどまらない正教会音楽がめざされたのです7。これを背景に、ラフマニノフは無伴奏合唱による二つの大規模な典礼音楽――『聖金口(せいきんこう)イオアンの聖体礼儀』作品31と『徹夜禱(てつやとう)』作品37――を作曲します。とくに1915年に作曲された『徹夜禱』は、ラフマニノフの全作品のなかでも最高傑作とも評される大作です。折しもロシア帝国が前年に第一次世界大戦に突入し社会が不安に覆われていたことも、ロシア文化の根源にある正教会の音楽にラフマニノフを駆り立てた理由の一つと考えられます8
 総演奏時間が1時間あまりにおよぶ『徹夜禱』では、無伴奏合唱の可能性を極限まで追求した音楽が繰り広げられます。声部は四部に収まらず時には八部にまで分割され、また第5曲「主宰や今爾の言にしたがい」では、バスの最低音にほぼ演奏不可能なB♭音までが要求されます9
 この作品を特徴づけているのは、西欧音楽の理論にのっとったドミナント→トニックという和声進行ではなく、ルール違反ともいえるドミナント→サブドミナントという進行が多用されていることです。このことは、西欧的な二元性から離れた、一種時間軸のかけ離れた音世界をつくりだしています 。この作品の大地から湧き上がってくるような声楽の響きこそ、ラフマニノフの音楽の奥底にある本質ではないか、と筆者は考えます。「人間の声のみが神の声をもっともよく伝える」という正教会の理念を芸術的な高みにまで導いたのが、ラフマニノフだったのです。

※参考文献
・東郷正延他編『ロシア・ソビエトハンドブック』三省堂、1978年。
・一柳富美子『ラフマニノフ――明らかになる素顔 』東洋書店、2012年。
・古瀬徳雄「Rakhmaninovの『晩祷』op.37における下属和音の優位性について」『関西福祉大学研究紀要』第7号、2004年、21-44頁。
・「特集 ラフマニノフ」『ユリイカ』2008年5月号、青土社。

脚注
1古瀬2004、22頁を参照。
2ソヴィエト政権下においてロシア正教は弾圧を受けていたため、20世紀においては彼らの残した宗教曲の数々には光が当たってきませんでした。近年、これらの作品にはようやく再評価の機運が高まっています。
3一柳2012、7-8頁を参照。
4たとえば、「他人の秘密を話す」という意味で「すべての鐘を鳴らす」と言い、また「鐘の音はたくさんだが撞いた数は少ない」という言い回しは「大山鳴動して鼠一匹」に相当します。
5東郷他(編)1978、258頁。
6一柳2012、6-8頁。
7古瀬2004、28頁を参照。
8一柳2012、47頁。
9この曲の冒頭で、男声に鐘を模した音型があらわれることも興味深いことです。
10古瀬2004、43-44頁。

用語解説

グリンカ

1804-1857. ロシア国民楽派の祖とされる作曲家。オペラ『ルスランとリュドミラ』など。