旧約聖書からみる『ナブッコ』


 作品の名前にもなっている主人公のナブッコは、紀元前6世紀の古代バビロニアの国王ネブカドネザル二世という実在の人物です。またバビロニアは世界でも最も古い文化発祥地のひとつとされる中東のユーフラテス川下流地帯、現在のイラクに栄えました。しかし長い歴史的変遷を通し、バビロニアは紀元前7世紀ごろまでしばらく北方のアッシリアに征服されており、都も紀元前689年にはアッシリアによって完全に破壊され、廃墟と化していました。その後紀元前625年になって、当時の王であったバビロンのナボポラッサルはアッシリアからの独立を宣言、紀元前612年にはメディア王国と協力してアッシリアを滅亡させ、新バビロニア王朝の時代を築きました。そしてナボポラッサルの息子で新バビロニア王国第二代の王となったのが、ナブッコ(生年不明、前562年没)なのです。

 ナブッコとはイタリア語式の俗称で、正しくはネブカドネザル二世、またはナブコドノゾール、ネブカドレザルなどと称されます。彼はイラン北西部を中心に広がっていたメディア王国の王女アムヒアと結婚し、父ナボポラッサルとともにアッシリアを滅ぼして紀元前604年にはアッシリアの旧領を含む新バビロニア王国の王位につきました。その後国家の基礎を固めながら次第に領土を広げ、西のシリアやパレスチナを属領とし、エジプトの勢力をアジアから駆逐しました。ユダヤ王国を滅ぼし、紀元前586年には一万人を超えるヘブライ人を捕虜としてバビロニアに連行したという史実は旧約聖書『ダニエル書』や『列王紀』などにも見られ、オペラの第一幕の題材となっています。しかし『列王紀』下巻第24章から第25章以外にも、ゼデキヤの治世第9年から第11年およびネブカドネザルの治世第19年の二回にわたってバビロニアはエルサレムに侵攻しヘブライ人を捕虜としてバビロンにおくったという記述があり、歴史上最も大きな「バビロン捕囚」が行われたとされるのは紀元前587年ですが、オペラのできごとが正確にどれを素材としているかは明確ではありません。

 しかしネブカドネザルは決して好戦的な暴君ではなく、バビロニアの黄金時代といわれる第一王朝(紀元前1830年~紀元前1531年)の名君ハンムラビ(在位紀元前1728年~紀元前1686年)を理想として平和な国家の建設や文明の振興に力を注ぎました。ハンムラビが治めた時期を「黄金時代」と呼ぶのに対し、ネブカドネザルが治めた時代を「復興時代」と呼ぶのもそのためです。『ダニエル書』によると、ネブカドネザルは晩年に精神錯乱もしくは動物妄想狂に陥ったとされますが、主の栄光を信仰することによりそれを克服し、英明な国王として生涯を終えました。こういった場面はオペラの作中にもでてきます。しかし彼の死後まもなくバビロニアはペルシアに征服され、その栄光の歴史に終止符を打ちました。

 『ナブッコ』の台本を書いたテミストークレ・ソレーラ(1817~1878)はヴェルディの処女作である『オベルト』の台本に改訂を加えた時からの友人で、合計五つの台本をヴェルディのために書きました。ソレーラ自身は個人が歴史の中の一部にすぎないような、叙事的で明らかに愛国的な主題に貫かれた歴史劇を得意としていました。ナブッコが歴史的な事象に基づいたストーリー性重視の作品ではなく、人間関係や情感を重視した作品であるのはそのためです。さらにソレーラは当時イタリアがおかれていた政治的な状況について、ヴェルディよりも更に敏感で戦闘的な心情を抱いていました。イタリアが近代的統一国家を築きあげるまでの長い間、イタリア全土は近隣の強国に分割支配され、中央部の広大なローマ法王領を含むいくつかの国々に分裂していました。実際にヴェルディもナポレオン軍の占領下にあった小村レ・ロンコレでうまれたため、はじめフランス市民として出生登録されています。その後ナポレオンの失脚を機としてイタリア民族の独立と統一国家の実現を目指す民族運動が起こり、約半世紀ののちにようやくイタリア王国として成立しました。1820年から1870年にわたるこのいわゆる国民復興期は、ヴェルディがイタリア・オペラ界で最も華々しく活躍した時代と重なっています。『ナブッコ』に対し当時のイタリア人がおくった異常な熱狂は、イタリアの抑圧された政治的状況と決して無縁ではありませんでした。『ナブッコ』でバビロニアに幽閉されたヘブライ人たちが懐かしい祖国をしのんで歌う合唱の歌詞が示す愛国的なアピールに、彼らは自由と独立を奪い取られた自分たちの姿を重ね合わせたのです。ヴェルディはその一生を通じて常に「イタリアの音楽家」としての自覚と誇りを忘れず、祖国と民族の自由と独立に関しても積極的な態度をとることを厭いませんでしたが、かといって政治的な主張や理想を音楽に反映させるような作曲家では決してありませんでした。

 『ナブッコ』はあるひとつの主題に添ってオペラを構成するというよりも、ネブカドネザルのエルサレム攻略やヘブライ人のバビロニア強制移住といった名高い史実にからませて、いくつかのオペラティックな情景を絵巻風に配列したような独特の構造をもっています。それは必ずしもタイトル・ロールであるはずのナブッコの悲劇でもなければ、劇的重要性を与えられたものでもありません。ナブッコの発狂も、正気の回復も、信仰への目覚めもあるいはアビガイッレの悲劇的な最期も何一つ論理的に説明されていない上に、全4部7場相互の劇的関連性もないに等しいのです。これは、史実が提供しているさまざまな劇的情景の並列の中にイタリアの現状を重ね合わせることにソレーラの意図あったからこそであるといえます。『ナブッコ』が「オラトリア風聖書劇」と呼ばれているのはそのためで、それはある意味では当時のヴェルディの噴出的、爆発的な音楽の展開に恰好の機会を与えたのです。

前プロ

図1

 

参考文献

ヴェルディ全オペラ解説1「オベルト」から「マクベス」まで (高崎保男著 音楽之友社 , 2011.1)

 

図1 ジュゼッペ・ヴェルディ ウィキペディアより(閲覧日 2016.6.12)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%82%BC%E3%83%83%E3%83%9A%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%A3