19世紀のヨーロッパとバレエ音楽


・19世紀の音楽文化

シューベルト、シューマンなどの大作曲家が一世を風靡した19世紀は、ヨーロッパの一般市民のための音楽が完成された時代です。それまで王室や貴族のためのものであった音楽という文化が、近代革命により18世紀から市民化が始まり、人々はお金を出せば演奏会に音楽を聴きに行くことが出来るようになりました。親は子にピアノを買い与えるなどし、人々の暮らしに音楽は確実に定着していきました。聴衆の数は飛躍的に多くなったのです。このことは作曲家にとっても大きな変化でした。音楽市場は急速に広まり、いかに後世に残る魅力的な作品を作るかということが大きな流れになっていったのです。作曲家は他の作曲家よりも素晴らしい曲を書こうと躍起になります。

 この頃に成立したロマン派音楽を発展させたロマン主義もこの社会革命の産物と言えます。産業革命が起こり、機械化が進む中で抑圧された感受性や哲学が芸術として現れたものの一つがロマン派音楽です。オーケストラは大規模化し、複雑な和声進行や旋律による感情表現や物語性が生まれ、音楽表現の幅は飛躍的に拡大しました。この流れは数々の作曲家を巻き込み、ウェーバーやシューベルトをはじめシューマンやヴェルディなどによって大成されました。

 

・バレエとその歴史

中プロ

(図1 1582年頃のバレエ風景、Jacques Patin作)

 バレエとは歌やセリフを伴わない舞踏芸術のことで、複雑な踊りの技術は今日の日本でも見ることが出来ます。バレエは中世イタリアで、宮廷の余興として貴族達が床に歩きながら図形を描くのを眺めていたのが始まりとされています。イタリアからフランス王室に嫁いだカトリーヌ・ド・メディシスによってフランスにバレエがもたらされると、バレエは宮廷で盛んに踊られるようになりました。このようにバレエも宮廷バレエから始まりましたが、革命をもって市民芸術へと変化していきます。この頃のバレエはロマンティック・バレエと呼ばれ、19世紀末にロシアで成立したクラシック・バレエと区別されました。ロマンティック・バレエは踊りを中心とした物語性の強いものであり、技法は比較的簡単なものが用いられていました。しかし、フランスでのバレエの低俗化やヨーロッパでのロマン主義の衰退とともに、ロマンティック・バレエも上演されることはなくなっていきました。

 一方後進国であったロシアでは、ロマンティック・バレエは衰退することなく踊り続けられており、その後複雑な踊り技法や物語と関係のない振り付けなどを取り入れた古典主義的なクラシック・バレエへと発展します。当時のバレエはロシア帝国により国家政策として位置づけられましたが、聴衆は貴族が大半でありバレエはまだ一部の人のものでした。チャイコフスキー「眠れる森の美女」が初演されたマリインスキー帝国劇場が登場したのもこの頃です。しかしロシアも次第に革命への道を辿っていきます。そうした中でロシアバレエ界も大きな変化を迎えます。バレエも自由市場となり競争が激化する中、帝国劇場であったマリインスキー劇場は多くの私立劇場からその地位を守るために大規模な作品を手がけ、音楽を一流の作曲家に依頼しようと考えました。こうしてチャイコフスキー「眠れる森の美女」は誕生しました。「くるみ割り人形」「白鳥の湖」とこの作品は3大バレエと呼ばれるようになり、後のバレエ史に大きな影響を与えました。これによりクラシック・バレエの様式が確立され、フィギュアスケートなどにも影響を与えるなど、現代舞踏芸術の礎を築いたのです。

 

参考文献

・鈴木晶著『バレエ誕生』新書館 2002年

・岡田暁生著『西洋音楽史』中公新書2005年

出典

・図1: バレエ – Wikipedia

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%AC%E3%82%A8