『大学祝典序曲』


 ヨハネス・ブラームス(Johannes Brahms 1833 – 1897)はドイツ出身の作曲家で、10歳にして公の場で演奏するなど、神童とも謳われた人物です。

 『大学祝典序曲』は1879年、ブラームスがドイツのブレスラウ大学から名誉博士の称号を受けた際にその返礼として作曲されました。ハ短調のアレグロで始まるこの曲は「我らは立派な校舎を建てた」(“Wir hatten gebauet ein stattliches Haus”)、「国の親」(“Der landesvater”)、「新入生の歌」(“Das Fuchslied”)、「だから愉快にやろうじゃないか」(“Gaudeamus”)の4つの学生歌を自作の主題を交えてつなぎ合わせる形式をとっており、同時期に作曲された『悲劇的序曲』と対応する作品としても広く親しまれています。この二作品は雰囲気の明暗が大きく異なっており、ブラームス自身も「一方は涙の音楽、もう一方は笑いの音楽」と形容しています。

 「笑いの音楽」という表現からも分かるように全体を通して明るいイメージを持たれるこの曲ですが、ひとつひとつの引用歌はどのようなものなのでしょうか。ここでは、この曲の味わいをそれぞれの学生歌を通して見ていきます。

 一曲目の「我らは立派な校舎を建てた」は1819年、ドイツのイェーナ大学の学生組合が解散した際に作曲されたものです。この学生組合はブルシェンシャフトとも呼ばれ、ナポレオン戦争から帰還した学生を中心に結成されました。ブルシェンシャフトはドイツ主義の体操家であるF.ヤーンを精神的主導者として自由主義とナショナリズムの結びついた学生運動を行っていましたが、1817年に起こった蜂起と1819年に一部の過激派が起こした暗殺事件をきっかけに本格的な弾圧の対象となってしまいます。当時オーストリアの外相であったメッテルニッヒは大臣会議を緊急招集し、決議の結果ブルシェンシャフトは解散に追い込まれました。この事件を受けて曲中では、学生組合の比喩ともとれる立派な校舎が崩壊する様や、「神こそ砦だ」と苦難に立ち向かう決意が歌われています。この歌は『大学祝典序曲』内でブラームス自作の旋律が演奏された後、初めて金管によって荘厳に演奏され、曲調はハ長調の明るいものとなります。

 二曲目の「国の親」は撃剣系学士会の入会式で歌われたもので、独語のままランデスファーダーと訳されることもあります。ランデスファーダーとは、歌を歌いながら帽子を剣で串刺しにして国家と朋友に忠誠を誓う儀式のことで、この曲の歌詞には非常に愛国的な内容が含まれています。ブラームスはこの歌を曲中で、2ndヴァイオリンを中心に後半部分のみを仄めかすようなかたちで引用しました。

 三曲目の「新入生の歌」はいわゆる新入生歓迎の歌です。冒頭部分は大学の新入生が馬に乗って学校へと到着する様を描いており、在校生たちはこの姿を狐に例えてからかっています。そのためこの歌は直訳で「狐の歌」とも訳され、『大学祝典序曲』曲中では「国の親」の重厚な旋律が繰り返された後、ファゴットの軽快で少しおどけたような旋律で始まるのが印象的です。この曲の原題は「あの高いほうから何が来る?」(“Was kommt dort von der Hoh’”)というもので、古くから伝わる民謡にデンマークの詩人であるL.ホルベルクの書いた喜劇の劇中歌の詞をつけたものだと考えられています。

 四曲目の「だから愉快にやろうじゃないか」は最も有名な学生歌のひとつで、ヨーロッパ全域で広く親しまれているものです。歌詞はラテン語で、ボローニャの司祭であるストラーダという人物が作曲したものだとされています。この歌は『大学祝典序曲』の最後で総奏によって雄大に演奏され、学生の力強さや若々しさが感じられるクライマックスの場面です。

 以上で「笑いの音楽」に引用されている四つすべての学生歌をご紹介しました。その内容は意に反した学生組合の解散など、必ずしも明るく楽しいものだけではありませんでしたが、どの曲にも様々な学生ならではの活力が満ち溢れていると言えるでしょう。これらの四つの学生歌の旋律、冒頭のブラームス自作の旋律から『大学祝典序曲』は成り立っているのです。またこの曲の中では、四つの学生歌すべてが完結していないというのもひとつの興味深い点だと言えます。

 さて、この『大学祝典序曲』が名誉博士号への返礼として作られたことは前述しましたが、これはブラームスが“ものぐさ”でなければ生まれなかったかもしれないということについて最後に触れておきたいと思います。

 実はブラームス、1879年にブレスラウ大学から名誉博士号を受ける前にも称号を受ける機会がありました。それが1876、7年に届いたケンブリッジ大学からの2度の名誉博士号贈呈の通知です。ケンブリッジ大学といえば現在でも名高いイギリスの名門校ですが、ブラームスはこの申し出を断ってしまいます。この理由は諸説ありますが、ブラームスがイギリスに出向くのを嫌ったから、また英語を話すのが苦手だったからだとも言われています。当時はドイツからイギリスへ行くには船に乗らなければならず、称号を受けるからには英語で挨拶しなければならないことは予想がつきました。一方ドイツにあるブレスラウ大学で称号を受ける場合、海を渡る必要も英語を話す必要も無かったのです。

 もしブラームスがケンブリッジ大学の贈呈を受けていれば、ドイツの学生歌を用いた『大学祝典序曲』は無かったかもしれません。

 ブラームスの故郷であるドイツの気風が詰まった『大学祝典序曲』。そのエピソードや当時の学生たちの若さと活気あふれる息吹を私たちの演奏でぜひ味わってください。

 

 

参考文献

著 Hans A. Neunzig 訳 山地 良造 (1994) 『ブラームス』 音楽之友社

著 門馬直美 (1924) 『ブラームス 大学祝典序曲』 音楽之友社

著 池辺晋一郎 (2006)『ブラームスの音符たち―池辺晋一郎の「新ブラームス考」』音楽之友社

著 染谷周子・高田涼子 (2005) 『青春に乾杯!』 国立音楽大学付属図書館展示資料