客演指揮者十束尚宏先生インタビュー


―― お忙しい中、お時間頂きありがとうございます。本日はよろしくお願いします。

早速ですが、今回の前プロであるブラームスと、その『大学祝典序曲』の魅力についてお聞かせください。

十束 こちらこそよろしくお願いします。

ブラームスは北ドイツの出身ですが、ご存知のように、ずっとウィーンで活躍した作曲家で、ウィーンの人達は皆、ブラームスはウィーンの音楽だ、我々の音楽だ、と思っています。例えば、過去の素晴らしいマエストロ達との数々の名演や録音で皆さんご存知のウィーン楽友協会合唱団(Wiener Singverein)は、ブラームスが初代の音楽監督でした。ドイツ・レクイエムを作曲者自身の指揮で最初に歌ったのもこの合唱団です。ピアノ曲やその他室内楽など、ブラームスの音楽はウィーンの街と非常にマッチします。僕自身、ウィーンに家族で移り住んでから、今年(2017年)でちょうど15年になりますが、本当に素晴らしい国、町で大好きなんです。そしてドイツ語圏の音楽(だけでなく哲学など色々)が大好きなので、ブラームスにも大変魅力を感じますね。

『大学祝典序曲』というのは、スコアを弾くとよく分かるのですが、冒頭から手の配置、和音のつかみ方が正にピアノ曲、そしてそれは、ブラームスのピアノ曲に特有のつかみ方なのですね。

私が未だ指揮科に入学する何年も前の子供の頃ですが、初めてのスコア・リーディングのレッスンで、「じゃあ来週までにブラームスの1番の1楽章を全部弾いて来なさい。」と宿題を頂きました。そして、その1週間の間に経験した感動的な手の感覚、両手の配置、和音のつかみ方など、年を取った今でも忘れられない若い時のその感覚は、この曲でも感じられます。

ご存知のように、ブラームスは交響曲をたった4曲しか書きませんでした。全てが大傑作ですが、しかしブラームスといえば、数多くの素晴らしいピアノ曲・室内楽作品があり、それらを弾いたり、聞いたりすることが最も大切な事なのです。どの交響曲からも、あるいは他の管弦楽作品からも、ピアノで弾くと、私自身が今まで色々弾いてきたブラームスのピアノ作品を思い出させてくれる、独特、特有のもの、≪手の形≫があり、ピアノの名手でもあったブラームスは、他の作曲家同様に、オーケストラの作品もピアノを使って作曲していた事が良く分かります。

――『大学祝典序曲』はピアノからの曲構成を大事にしつつも、チューバなどを含めた大編成の曲にすることで、ピアノでは出せない物を表現したのですね。

十束 先程は、元々の曲のつくり、骨格の一部についてお話をしましたが、そうですね、『大学祝典序曲』にはコントラ・ファゴットも入っていますし、当然オーケストレーションも又素晴らしく、そして大変ブラームス的なものです。第2テーマも是非ピアノで弾いてみて下さい。これ等の原型から、ブラームスの神がかった天才の創造力により、色々な楽器の音色に振り分けられたのです。

――では、マーラー交響曲第2番『復活』の魅力についてもお聞かせください。

十束 これはどうしても宗教的なことになってしまいますが、先ず、僕は、妻や子供達も含めて、家族皆がカトリックの洗礼を受けた信者です。

そういう者達にとっては、深い宗教的な感動に心も体も震える、そういう曲です。

マーラーはユダヤ教からカトリックに改宗しました。イエス様の復活から、今度はみんなの復活を願った曲を書いたんです。

イエス様の復活については、素晴らしい絵画の作品が数えきれず存在しますので、キリスト教の方でなくてもご存知だと思います。

イエス様が我々の罪を背負って十字架にかけられ、3日後に復活されるという「奇跡」、その一連の出来事を通じての、我々の願い、強い思いから来ています。マーラーの『復活』はキリスト教信者の気持ちを代弁したような曲になっていると言えます。

又、日本にいると何となくとっつきにくいかもしれないキリスト教ですが、実際には臨機応変と言いますか、来るもの拒まずという面もあります。例えば、洗礼は通常約2年程神父様の元で勉強した後に授けて頂く事が出来ますが、亡くなる直前に洗礼を受けたくなった人でも、神父様が病床に来て下さり、受洗することができます。そういう意味でも、このマーラー交響曲第2番を、宗教的な気持ちがないと演奏できない、とまでは言いません。

しかしこの曲の本当に深い所にある精神は、宗教から来ているということを深く理解し、あるいは理解しようと努力した上で演奏しなくてはなりません。ただ音符の上手な羅列、音響に酔う、という事では表現しえない物があるのです。

そして、この曲は交響曲ですが、歌曲であり、オケではなく歌が主役です。マーラーが伝えたい事は、4楽章と5楽章のソリストの方々、合唱の皆さんの歌、言葉に凝縮されています。オケはその為に、1楽章の葬送で人を弔い、2楽章ではまるで天上の音楽、3楽章ではあたかも地獄の様子を提示し、主役、歌の登場を準備します。

4,5楽章については、ここでちゃんとお話すると、言葉の内容など、宗教的なお話で余りに長くなるので省略させて下さい。ここには信じられない感動的な内容がつまっています、とだけお伝えします。

最後には„Urlicht“に包まれ、導かれて天に昇っていき、天国の門の鍵を持った聖ペテロ様が鍵を開けて下さり、みんなが天国に迎え入れられたところで感動的に曲は終わります。

――先生は現在ウィーンにお住まいですが、日本の学生オケについて何か感じることはありますか。

十束 それぞれみなさん大学での勉強もある中で、楽器もとてもお上手だと思います。好きだから練習する、演奏する、非常に単純な話ですが、そこには日本のプロ・オケからは失われてしまったものがあると、強く感じます。それが素晴らしくて、僕は心地よくやらせていただいてます。「音楽が好き」という一番大事なスピリットを皆さんにはぜひこれからも持ち続けて欲しいですね。

――先生は前回19年前に客演指揮者としてお越しいただいていて、今回の客演が通算で4回目の共演になります。そんな先生から見て、これまでの京大オケと今の京大オケとの違いや、印象に残っていることなどを教えてください。

十束 大分昔のことで、僕自身年をとりましたから、細かい事は鮮明には覚えていなくて。又、申し訳ないですがどこが違う、なんていう事は、はっきりとは言えないのです。

ただ、毎回、とてもお上手だなあという事と、とてもしっかりしていらっしゃる方々だという事は、いつも感じていました。

――それでは今回の演奏会を聴きに来てくださる方に、2曲の聴き所や、どんな風に聴いてほしいというのはありますか?

十束 お客様に対して、どのように聞いて頂きたいという事は、全くありませんし、今までも特に思った事はありません。

ただ、僕は指揮する時、常に心掛けている事があります。それは、≪作曲家が第一である≫という、当たり前の事です。

良く言われるオペラと交響曲どころではなく、もっと大きく、作曲と演奏という行為は、あたかも車輪の両輪で、表裏一体であり、同じ楽譜を表と裏から見つめる事であるのを、自分の体験から、特に最近強く感じています。

その作品、その楽譜に対しての作曲者の色々な思い、意図や気持ちに対して、楽譜の表と裏から、広い意味で忠実に読み取ろうと努力しなければならない、という思いです。

私には、お客様がどうお聞き下さるのかという事よりも、天国にいる作曲者の方が、どう聞いて下さるのか、という事の方が気になります。怒っていらっしゃるかなあ、それとも少しでも喜んで頂けたかなあ、と・・・。

お客様には、大変お忙しい中、お出で下さいました事、心より感謝申し上げます。若々しく素晴らしいこのオケの皆さんが、色々な思いをしながら今日まで精一杯練習し、作り上げてまいりましたこの演奏、どうぞお聴きください。

――最後に、演奏会への意気込みをお願いします。

十束 先ず、団員の皆さん、関係者の皆様に、今回の100周年演奏会、心よりお祝い申し上げます。記念すべき100周年の演奏会だからこそ、皆さんマーラーの第2番という大曲を取り上げられた訳ですが、前にお伝えした通り、僕自身は99回目でも101回目であっても同じで、ただただ作曲者の気持ちに寄り添いたい、少しでも近づきたい、という強い思いで、団員の皆さん、そしてお客様とご一緒の、この貴重な一期一会の時間を大切にしたいと思います。

――お忙しい中インタビューをお引き受けくださり、ありがとうございました。

十束先生の音楽への熱意を感じ、ますます演奏会への期待が高まるインタビューでした。十束先生と共に一生懸命作り上げた音楽を、ぜひ演奏会にてお聞きください。