交響詩『真昼の魔女』


アントニン・ドヴォルザーク(Antonín Leopold Dvořák 1841-1904)(※1)は、交響曲第9番『新世界より』やスラヴ舞曲集などで有名なチェコの作曲家です。チェコの中心都市プラハの郊外にある農村で生まれた彼は、地元やプラハの教師たちから専門的な教育を受けて音楽家になりました。彼はワーグナーやブラームスといった名作曲家たちから影響を受けながら、当時の西洋音楽の中心地であるドイツやフランスとは異なるチェコ民族独自の音楽を目指して数々の美しい旋律を生み出しました。

50歳代になり一流作曲家としての地位を固めたドヴォルザークは、招かれて渡ったアメリカからチェコへ帰国した翌年の1896年に4つの交響詩を作曲しました。交響詩『真昼の魔女』は、このうちの第2曲にあたります。4つの交響詩は、チェコの伝承や民話を研究した詩人エルベン(Karel Jaromír Erben 1811-1870)の詩集「花束」に収められたバラードから着想を得て作られました。民話を元にしたこれらのバラードには、真面目さや純真さといったチェコの民俗的気質と民衆の生き生きとした想像力が表れており、ドヴォルザークに強い魅力を感じさせ、交響詩の作曲へと誘いました。

『真昼の魔女』の話の筋は単純で、元になったエルベンの詩では3つの部分に分かれます。はじめに登場するのは食事の用意をしている母親と独りで遊んでいる子供です。言うことを聞かない子供に腹を立てた母親は、「真昼の魔女」を呼ぶといって子供を脅します。すると魔女が実際に現れ、子供をよこせと迫ります。教会の鐘の音が魔女を退散させますが、帰宅した父親が見たのは、意識を失い倒れた母親と冷たくなった我が子でした。ドヴォルザークはこれに魔女の踊りの部分を差し挟み、交響詩として完成させました。

交響詩『真昼の魔女』は、繋げて演奏される交響曲のように4つの部分から成っています。曲の半分を占める第1の部分では、平和な田園風景が子供の泣き声と母親の怒りによって変化していく様子が描かれます。ここではクラリネットによる滑らかなフレーズとヴァイオリンによる鋭く区切られた下降音形が登場しますが、これらはそれぞれ「子供の主題」と「母親の叱責の主題」と呼ばれることもあります。以降はこの2つのフレーズが変奏、反復されて曲の全体を構成していくことになります。そして、母親が魔女を呼ぶ場面では、第3部の魔女の踊りのフレーズがちらりと登場します。


第2の部分は、交響曲でいう緩徐楽章の役割を果たします。醜い魔女がゆっくりと現れ、子供を奪おうと迫ります。ここでは第1部で登場した「母親の叱責の主題」が変化し、魔女が親子に迫るシーンに用いられます。襲いくる魔女と子供を守ろうとする母親が交互に描かれ、次の第3部へと続きます。

第3の部分は、ドヴォルザークが挿入した風変わりなスケルツォ(※2)です。魔女が親子の周りをグロテスクなステップで踊り回り、恐怖は最高潮に達します。第1部で出た「子供の主題」が、グロテスクな「魔女の踊り」に変貌します。第3部の最後では教会の鐘が正午を告げ、ようやく魔女は去っていきます。

第4の部分では、父親の帰宅と悲劇的な幕切れを描きます。何も知らない父親が見たものは、気絶した母親とその胸に抱かれている息絶えた子供でした。最後に第2部と第3部で現れた魔女のフレーズがもう一度演奏され、魔女の恐ろしさを思い出させながら曲は終わります。

 

交響詩『真昼の魔女』は、劇的な物語と個性的なキャラクターを巧みな音楽の構成で見事に表現したドヴォルザーク円熟期の価値ある作品です。そのストーリーを想像しながら、ぜひお聴きください。

(※1) Dvořákの日本語での表記については、この稿では従来の慣行に従いドヴォルザークとしました。
(※2) スケルツォ:ベートーヴェン以降、交響曲などの第3楽章によく用いられた3拍子の軽快な曲。

参考文献
音楽之友社編 1993年 『作曲家別名曲解説ライブラリー⑥ ドヴォルザーク』音楽之友社
ショウレック著 渡鏡子訳 1961年 『ドヴォルジャーク 生涯と作品』音楽之友社
ギー・エリスマン著 福本啓二郎訳 1975年 『不滅の大作曲家 ドヴォルジャーク』音楽之友社
下中邦彦編 1982年 『音楽大事典 第3巻』平凡社