交響曲第5番ホ短調


日本で最も親しみのある作曲家の一人であるチャイコフスキー(Pyotr Ilyich Tchaikovsky1840-1893)はロシアのウラル地方のヴォトキンスクで生まれました。彼は20代前半まで法務省に勤めた後、ペテルブルク音楽院を卒業。その後モスクワに拠点を移し、音楽活動に励みました。チャイコフスキーはロシアにおける代表的なロマン派(※1)の作曲家のひとりです。また彼は、ロシアの民族主義的な芸術音楽の創作を志向した代表的な作曲家集団であるロシア五人組(※2)とも交友を持ち、国民楽派としても知られています。叙情的なメロディや絢爛豪華な雰囲気がわかりやすく幅広い人々に人気な一方、一見単純に見えるが独特で精巧なオーケストレーションも高く評価されています。

 

今回我々が演奏する「交響曲第5番ホ短調」は彼の残した作品のなかでも有名な曲の一つです。彼は1877年に「交響曲第4番」を作曲してから「マンフレッド交響曲」(※3)を作曲したことを除くと、交響曲から遠ざかっていました。しかし西欧での演奏旅行を通じて得た現地での好評や、マーラーやリヒャルト・シュトラウスらとの交流が刺激になり、再び交響曲に取り組んだとされています。

 

この作品のスケッチには『運命の前での完全な服従』『不満、疑い、不平、非難』『信仰の抱擁に身をゆだねる』『慰め』『一筋の光明』『いや、希望はない』といった言葉が残されており、この作品の曲想を伺わせます。実際、この曲の序奏のテーマは「運命」だと言われておりますが、この「運命」はさらにいえば「抑圧された」という言葉が付随するような印象を持ちます。この序奏の旋律は曲全体を貫く基本楽想であり、全楽章に散りばめられています。

 

ソナタ形式の一楽章はクラリネットによる序奏の暗い「運命の動機」に始まります。「前に進みたいけれどなかなか進めない」といったイメージをわかせる第一主題と、ワルツ風で綺麗な第二主題が奏でられます。一度は高揚を見せるものの、暗く重い結末で終わります。
 二楽章はホルンによる美しいメロディに始まり、二つの主題が交差しクライマックスを迎えます。そしてクラリネットにより短調の新しい旋律が導かれ盛り上がったのち、突然「運命の動機」が突きつけるように奏でられ静かに終わります。
 三楽章ではスケルツォではなくワルツが用いられ、重い雰囲気を忘れたように華やかなメロディが印象的です。最後に思い出したかのように「運命の動機」がクラリネットとファゴットにより奏でられ、四楽章に突入します。
 この四楽章冒頭では「運命の動機」が堂々と演奏され、明るい結末を予測させるようです。曲調はどんどん高揚していきコーダでは有無を言わさぬ圧倒的な迫力と悠然たる雰囲気のなか、「運命の動機」が奏でられます。

 

このように、交響曲の全体にわたって「運命の動機」が様々な表情を持って登場します。この曲のテーマとされる「運命」についてのストーリーを思い浮かべながら聞いてみるのもいかがでしょうか。

(※1)ロマン派音楽(ロマンはおんがく)は、18世紀から19世紀にかけて様々な芸術に影響を残したロマン主義の精神によって古典派音楽から発展していった、ほぼ19世紀のヨーロッパを中心とする音楽を指す。

(※2)ロシア五人組とは、19世紀後半にロシアで民族主義的な芸術音楽の創造を志向した作曲家集団である。

(※3)1885年にチャイコフスキーが、五人組の一人であるバラキエフにより「バイロンの『マンフレッド』による標題交響曲」という発想を提供され、作曲した曲である。

参考文献 チャイコフスキーの音符たち 池辺晋一郎の「チャイコフスキー考」 池辺晋一郎 音楽之友社
ロシア音楽の魅力 グリンカ・ムソルグスキー・チャイコフスキー 森田稔 ユーラシア選書
ポケットスコア『チャイコフスキー 交響曲第5番』園部四郎解説 全音楽譜出版社