交響曲第104番 二長調『ロンドン』


京都大学交響楽団が定期演奏会の曲としてハイドンを取り上げるのは、2003 年の第 173 回定期演奏会以来、実に 15 年ぶりのことになります。ハイドン(Franz Joseph Haydn,1732-1809)は親しみを込めて「パパ・ハイドン」、「交響曲の父」、そして「古典派音楽の確立者」と呼ばれています。 彼はオーストリアのハンガリー国境に近いローラウという村で、車大工の息子として生を 受け、教会にて合唱教育を施されました。また、「すでに六歳で若干のミサ曲を完全に歌いこなせた」とハイドン自身が述べているように、聖歌隊の活動を熱心におこなっていました。

ハイドンの音楽家としての仕事は 29 歳の時、ウィーンに拠点を置くエステルハージ侯に副楽長として迎えられたことに始まり、34 歳には楽長に就任しました。27 歳から 63 歳までの間に作曲した交響曲は 100 曲を超えています。

今回演奏する「交響曲第 104 番ニ長調『ロンドン』」は、ロンドンの興行主 J.P.ザロモン[i]の依頼で作曲した 12 曲のうちの一つで、『ロンドン』の副題は 12 曲の最後ということで後世につけられたものであり、フレーズや曲の内容がロンドンに関係があるわけではありません。この曲はハイドンが最後に作曲した交響曲で、彼が人生の中で培ってきた作曲技術がふんだんに用いられた傑作です。

第一楽章では、全管弦楽による序奏部の重々しいユニゾンの動機が、圧倒的な迫力と鮮やかな印象を与えます。ここで強調される五度、四度、二度という三つの基本的な音程が、四つの楽章の主な素材となっており、交響曲全体に見事な関連性を与えています。長い休止の後、軽やかな旋律で曲が進み、第一主題の動機が最初に登場した時とは違った調で再現されます。この手法はハイドンが好んで利用したものでした。

第二楽章は、明るい雰囲気の冒頭部から少し怪しい雰囲気の中間部に流れていきます。主題旋律が数小節だけ歌われたのち、短調のままそのフレーズが展開され、また明るい長調に戻っていきます。和声進行で表現された緊張と開放が交互に訪れ、晩年のハイドンが多用した中間に暗い部分を含む形式で、ゆったりとした楽章となっています。

第三楽章は、メヌエットの形をとっています。メヌエットからトリオを経て、またメヌエットに戻るといったこの手法は、古典音楽の第三楽章においてよく使われていました。冒頭で第三楽章の主題が何度も繰り返された後、ドイツ舞曲風のトリオが現れます。メヌエットに戻る前に数小節つなぎの部分が存在し、そこではオーボエと第一バイオリンがユニゾンで動き、後半部ではフルートの独奏が響きます。

第四楽章ではチェロとホルンが一貫して主音を響かせつつ、第四楽章の第一主題が反復されます。これまでの三つの楽章で使われたフレーズと新しい動機が組み合わさりながら曲が進み、第一主題に基づいて効果的に曲が締めくくられるという、たくみに構成された大規模なソナタ形式のフィナーレです。

「交響曲第 104 番ニ長調『ロンドン』」は、ハイドンの交響曲の集大成です。さまざまな主題、動機とその展開を味わいながら聴いていただければ幸いです。

参考文献

執筆者多数『最新 名曲解説全集 第 1 巻 交響曲I』音楽之友社 1979 年 中野博詞『ハイドン交響曲』春秋社 2002 年
久保田慶一『西洋音楽史 100 エピソード』教育芸術社 2012 年 (「トリオ」の項目)『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』Britannica Japan 2014 年

[i] J.P.ザロモン…Johann Peter Salomon 1745 年 2 月 20 日受洗 – 1815 年 11 月 28 日 音楽興行主であり、ほかにも作曲、指揮、バイオリン演奏など活動は多岐に渡ります。生まれはドイツですが、当時はロンドンに活動拠点を置いていました。

文責:Va 澤野 日菜子