美しく青きドナウ


ヨハン・シュトラウスⅡ世(Johann StraussⅡ) は、数々のワルツやポルカなどを世に出し、父ヨハン・シュトラウスⅠ世同様、ワルツ王の名を得たオーストリアの作曲家です。
シュトラウスⅡ世は作品番号がついているものだけでも生涯に166曲のワルツを作曲し、彼独自の明るく夢見るような旋律は初期の作品からみられています。

 

美しく青きドナウではウィンナ・ワルツのリズムがとられています。ウィンナ・ワルツの成立には、ダンスの動きの変化が深く関連しています。その基本ステップは、前の小節の3拍目から1拍目で長めに滑り出し、2拍目にかけて回転し、3拍目は軽く両足を揃えるというもので、このようなウィンナ・ワルツの動きが、早めの2拍目、浮いた感じでありながら次の小節へ滑り出す3拍目、という特徴を生み出したといわれています。勢いよく回りながら先へと進み加速をもたらし、規則正しいリズムが崩れ、ワルツの新しいリズムが生まれました。その動きはメロディにも全く新しい躍動をもたらしたとされています。

不朽の名作である「美しき青きドナウ」は、敗戦に打ちひしがれていたウィーンの人々を励ますために作曲されたものでした。1866年に普墺戦争に突入したオーストリア帝国はプロイセンに敗北し、ドイツ諸邦に対する主導権をプロイセンに奪われることになります。その苦しい空気はウィーンにも漂っていました。それを払拭したいと思ったシュトラウスⅡ世はこのワルツを草案し、ハンガリーの詩人カールベックの詩の最後の一行を取って、「美しく青きドナウ(のほとりで)(An der schönen blauen Donau)」と名付けたのです。

初演の際の合唱の歌詞は警察の役人ヨーゼフ・ワイルによって作詞されたウィーンの人々を励ます内容のものでした。しかし、ウィーンが敗戦のショックから立ち直るにつれての歌詞も合わなくなり、この歌詞で上演されたのはわずか7回だけでした。その後シュトラウスⅡ世はパリのコンサートにてオリジナルに若干手をくわえて歌詞なしでの演奏を行うようになりました。それが期待以上に好評を得て、このドナウ・ワルツは世界中で演奏される名曲へとなっていったのです。

この曲は序奏から始まり、第一ワルツから第五ワルツ、そしてコーダで構成されています。

序奏では朝もやに輝くドナウのさざなみを表すヴァイオリンのトレモロに乗って、第一ワルツの旋律が夜明けを告げます。ホルンのソロが牧場のアルペンホルンのように鳴り響いてきます。そしてチェロも入ったところで本格的に朝が到来し、ワルツへと続いていきます。

ゆったりとした旋律の後ハープをきっかけにワルツが始まりますが、第一ワルツへの運びかたは指揮者やオーケストラによってさまざまで、とくに3拍目に演奏者の個性が表れます。

第ニワルツでは、ヴァイオリンのトレモロに乗って管楽器が水の精のように戯れます。やがてトレモロはハープに移行し、フルートとヴァイオリンが流麗な旋律を奏でます。
 

続く第三ワルツは、休符から次の小節へかかるタイで生まれるアクセントのリズムによって生き生きと跳ねる感覚が特徴です。


第四ワルツはこの作品中で最も優雅な部分です。思わせぶりなクレッシェンドと休符で溜めて、遊びながら次のアクセントのついた一拍目の音へ持っていくところにウィーンらしさがみられます。
 

第五ワルツでは、第一ワルツの音型をひっくりかえしたような旋律から始まります。舞踏会もクライマックスを迎え全員がくるくる輪になって回っている様子を思わせる華やかなワルツとなっています。

コーダでは、急にテンポを上げ、勢いを増していきます。そしてワルツの主要旋律が少しゆっくりになり、ホルンとチェロで瞑想のように美しく奏でられます。最後にヴァイオリンの小刻みな波の上をファゴットとホルン、低弦部が刻みながら追い立て、怒涛のように勢いよく下りながら、力強くドナウの物語を完結させます。

この曲にまつわる有名なエピソードとして、ブラームスが扇子に「私の作品であればよかったのに」と書いたというものがあります。今日ではオーストリア第二の国歌と呼ばれて世界に広がり、現在でもウィーンやヨハン・シュトラウスⅡ世の代名詞となっているこの名曲。ぜひ美しいドナウ川の情景を思い浮かべながらお聴きください。

出典・参考文献

解説関根裕子(2015)『J.STRAUSSⅡ』,音楽之友社

加藤雅彦(2000)『ウィンナ・ワルツ:ハプスブルク帝国の遺産』,日本放送出版協会

小宮正安(2003)『ヨハン・シュトラウス:ワルツ王と落日のウィーン』,中央放送出版社協会