「幻想交響曲」と「怒りの日」


ベルリオーズ(Louis Hector Berlioz, 1803-1869)の「幻想交響曲(Symphonie fantastique)」第5楽章には、「怒りの日(羅:Dies Irae)」のモチーフが登場します。「怒りの日」とは、キリスト教における「審判の日」のことであり、それを主題とした聖歌のことでもあります。この聖歌は死者のためのミサにおいて歌われるものであり、「死」を連想させるものであるため、これまで多くの作曲家によって、(レクイエムやミサ曲は当然のことながら)様々な作品に取り入れられてきました。京大オケが近年取り上げた作品においては、例えばマーラーの「交響曲第2番ハ短調『復活』」(200)やチャイコフスキーの「交響曲第5番ホ短調」(201)、サン=サーンスの「交響曲第3番ハ短調『オルガン付き』」(202)、ラフマニノフの「交響的舞曲」(203)などに登場します。こうしてみてみると、京大オケと「怒りの日」との付き合いは、第200回定期演奏会から数えるともう連続で5回目にもなることがわかりますね(ちなみに、第198回のラフマニノフ「交響曲第2番ホ短調」にも登場します)。

これまで取り上げた作品においても、「怒りの日」がはっきりとした形で出てくることはありましたが、あくまでその音型がモチーフとして用いられることが多かったのに対し、「幻想交響曲」でははっきりと楽譜に”Dies Irae”の文字列が掲げられています。

では、ベルリオーズは具体的にどのような意図をもって、この「怒りの日」の旋律を登場させたのでしょうか。

初めに「怒りの日」は死者のためのミサにおいて歌われるものであると述べました。実は、「幻想交響曲」第5楽章は、作曲者自身のプログラムノートによれば、この曲の持つ物語の「主人公」の葬式の場面なのです。ここでも、「怒りの日」が「死」を表現するものとして登場することがわかります。

怒りの日
(音楽之友社スコアをもとに筆者作成)

しかしベルリオーズは、自らのプログラムノートにおいて、その「怒りの日」の使用について「下賤に茶化したパロディー」と表現しています。初めこそ重厚な雰囲気を持って登場する「怒りの日」の主題ですが、最後には踊り狂うサバト(魔女)たちのロンドと組み合わされたグロテスクな形で表現されます。第5楽章では、愛する人を表すはずの「固定観念(イデー・フィクス)」さえも下品かつ諧謔的に変奏されており、そのことを考えると、「怒りの日」は宗教的なメッセージの表れであるというよりむしろ、ベルリオーズの人生に対する冷笑的態度そのものなのかもしれません。

最後に、ベルリオーズ自身による小話集に収録された文章を紹介します。自分自身とその努力とに対する自信が失われてもなお音楽を続ける者たちを、ベルリオーズは南極海を旅する探検家たちになぞらえました。初めこそ勇敢に、楽し気に旅立つ彼らですが、徐々に死の危険に直面することになります。そんなとき彼は「軽やかな声で、大変有名なこの陽気なフレーズを歌おうではないか」と、「怒りの日」の詞を掲げるのです。果たして彼は、「怒りの日」を何だと思っていたのでしょうか。

作品中では、「怒りの日」はオフィクレイド(チューバ)とファゴットによって重厚に奏された後、ベルリオーズの華麗な管弦楽法によって様々に展開していきます。鐘の音も相まって作り出される壮大な世界観をお楽しみください。終盤では「サバトのロンド」と共に、非常に華やかに、そして劇的に変奏され、圧倒的なクライマックスへと楽曲を導きます。

彼がそれにどのような意味を込めたのか、想像しながら聴いても楽しんでいただけることでしょう。

参考文献

  • 井上さつき解説『ベルリオーズ 幻想交響曲』, 音楽之友社, 2001
  • ベルリオーズ著, 森佳子訳『音楽のグロテスク』, 青弓社, 2007
文:廣戸(Perc.)