客演指揮者 角田鋼亮先生インタビュー


プログラムについて

学指揮:じゃあまずは曲の、今回選曲が長期戦で大変だったんですけど今回のプログラムが納得行くかたちで決まって良かったなぁと思っています。

角田先生:大学オーケストラの皆さんには、折角なら色々な作風の作曲家の作品を経験してもらいたいなと思っていたので、古典派のハイドンとロマン派の最後の方に位置するラフマニノフの両方があるのは良いなと思いました。また芝居に対する序曲があり、交響曲があり、舞曲がありと、それそれ異なる音楽のスタイルが学べる形にもなっていて、長期間取り組む皆さんにとっては学びの多いプログラムになったのでは。

ただ、気を付けないと全体の方向性や演奏会のまとまりがなくなっちゃうと思ったので、1曲目にバーバーをもってきて、いくつかの共通点を持たせたいと思ったんです。仕掛けを言っちゃうと、全部ニ長調が、主調として書かれているという事が一つ。それから、バーバーはピアノを弾いていたんだけど、どうやらラフマニノフの作品が好きで良く弾いてたみたい。彼の自宅にはラフマニノフが使ったピアノがあるっていう話しもあるし。オーケストレーションする際にラフマニノフの作品を参考にしていたと感じるところが多くあるし。それと、どちらの作品もフィラデルフィアの管弦楽団が初演したという繋がりもありますよね。

またハイドンの交響曲第104番は最後の交響曲で、一方ラフマニノフの交響的舞曲は最後の管弦楽曲だよね。
だけれども、ラフマニノフの交響的舞曲には彼の初期の交響曲で使ったメロディが出てきて、若い頃を回顧しているシーンもあるよね。
オープニングのバーバーの作品では彼の最初の管弦楽曲を取りあげて、作曲家の「最初と最後」という事で全体をまとめてみたいとも思いました。

やっぱり演奏会では、「やりたい曲三つ並べました。」じゃなくて、全体で1つのコンセプトを持って、ちゃんと「こういう意図があって決めました。」って自信を持ってお客さんにいえるようなプログラムが大事だなと思っています。

ニ長調について

元々ニ長調というのは、オーケストラがよく鳴る調で、栄光、輝かしさや勝利を表す調性として作曲家に利用されてきたものなんです。また、作曲家によっては“Deus”のDとして神を表したりも。いずれにしても光度を感じる調だよね。ハイドンの場合はそういった意味合いで、この調性を選んでいるのだと思います。とっても堂々と鳴り響くよね。

バーバーの作品の中のニ長調の和音ももちろん明るいんだけど、実はその中にシのフラットの音も入っていて、その事によってキラキラというよりかはギラギラした感じの響きになって、それがこの風刺喜劇の毒が効いている作品の雰囲気にマッチしているんですよね。

ラフマニノフの交響的舞曲に関しては、三楽章に「アレルヤ」(元々ニ長調を「ハレルヤ」の調とする音楽学者もいる)が出てくる事もあって、この調が選択されたかもしれないね。ただ、最後の最後でニ長調の構成音のD、F♯、Aのうちの真ん中のF♯を抜いて、明確なニ「長」調の「長」の提示を避けていますね。モティーフとして使われている「ディエス・イレ」や死を象徴するタム・タムの響きと共に、不気味な響きで曲が閉じられますね。

という事で、全体に通じて鳴っているのはニ長調の響きだけれど、それでもそれぞれの作品によって、意味や質感、響き方が異なるというところも注目して欲しいですね。

ラフマニノフについて

学指揮:まずラフマニノフについてお聞かせ下さい。

角田先生:もしかしたら、作曲家って、天から降ってきたメロディーをパーって書き留めていくイメージがあるかもしれないけど、殆どの作曲家がそうではなくて、最初のモティーフやメロディーが後にどのように展開していって、他のモティーフとどのように絡んでいけるのかという事を事前にしっかり計算、設計するんですよね。主題労作という風に言ったりもしますが。ラフマニノフは特にそれに注力した作曲家だと思っています。交響的舞曲は、彼がこれまで書いてきたピアノ曲に良く出てくるリズム・モティーフや「ディエス・イレ」や「晩祷」のメロディーなども沢山使われているので、手が込んでいますね。

学指揮:理論的というか理知的というか

角田先生:作曲家は基本的に理論的に曲を書きます。

学指揮:思い入れとかはあるにせよ音楽的なそこに深い意味があるかというよりモティーフとか考えさせるとか論理的ですよね
三楽章とか宗教的な意味があるんじゃないかという人もけっこういますね。

角田先生:僕自身の考えとしては、この作品において「宗教」というのも数あるモティーフの中の1つのモティーフというだけで、この作品で「宗教」そのものについて語ろうとした訳ではないと思います。ともすると作品の中にはっきりとした作曲家の主張やストーリーを求めがちだし、理解した方が演奏に説得力が出て良いと思うかもしれませんが、でもやはりこの作品ではあらゆるものを素材として扱っていて、純音楽のように作品をまとめているのだと思います。

間違いなく言える事は、彼はこの作品で、自分がこれまで書いてきた作品のエッセンスを取り入れているという事。生きてきた証を残そうとしているように思えます。

学指揮:あわよくばこれもバレエにしたかったとか

角田先生:そうそう。唯一書いていなかったバレエ作品を残したかったのかも。でもダメだったんでしょ?フォーキンが死んじゃって、実現しなかったとか。しかし、バレエ作品としては踊りにくいだろうなと思いますけどね(笑)。

ハイドンについて

学指揮:中プロはこちらとしてはすごく厳しいチャレンジです。 練習して結果仕上がることも大事ですが、その過程ですごく勉強になる、さすがオーケストラの基礎だなと感じています。

角田先生:必要とされるのは、フレーズを作る事、和音間の主従関係を作る事、響きの純度や立体感の構築、アンサンブル能力、他のパートが何をやっているのかを分かっていて、全部聞こえる耳のよさとか…。
本当にオーケストラの基礎が問われる、養われる作品かなと思います。

学指揮:今までロマン派ばかりやってきたので、こういう譜面を目の当たりにすると
こういうのやらなきゃなとか、意識しないといけないなと思って、
そこは選んで良かったなと思っているところです。

角田先生:音符の数は少ないんですけど、その中から感じないといけない情報はすごく多い。

学指揮:実際(合奏で)音を流してみると全然音楽に乗っていないなとかあるので、
ドラマがあるのを自分で自主的に感じ取ってやらないといけない。

角田先生:そうだね。この音符はどこ向かっていくのかという方向性を全員が共有しないといけない。
やっぱり作品が書かれた時代の様式感が大事で、歌うというより語るような感じで。少なくともラフマニノフを演奏する時とは違う音の軽さとか推進力とかが求められますね。また、二楽章は室内楽的に書かれていて、繊細な色とか和音の微妙な陰影とかを感じないとね。またどこに音楽の意外性に対して、毎回新鮮に驚いて、感動して演奏しないといけない。

学指揮:ハイドンの他の曲もそうですけど、委嘱されてというか、お願いされて書いたんですよね。

角田先生:そうです。

学指揮:そういうなかで、この曲はただ単に心地よくて耳ざわりのよいものを求めていたというよりかは、深いものがあるような。

角田先生:もちろん心に訴えるような素敵な楽想もたくさんありますよね。でも、彼は聴く人を楽しませるのが一番だった。初演された時に、「観客も私も作品を楽しんだ。」ってハイドンは書き残している。この言葉が、彼の作曲姿勢の全てだと思います。

学指揮:今まで書かれてきた曲とはまた違う、奇抜じゃないですけど驚かせるというか。そういうところを更にプラスしていた。

角田先生:音楽のセオリーがあるんだけどそれを裏切る。
だから逆にいうと、聴き手の人達がすごく音楽的な教養があったんだと思いますよ。じゃないと、ある和音から意外性のある和音に行って「えっ!」って驚けないじゃないですか。

バーバーについて

角田先生:バーバーはきっと何でも出来ちゃった人なんですよ。「弦楽のためのアダージョ」みたいにとても静謐で美しい音楽を書くこともできれば、シンフォニーの1番みたいに大河ドラマや映画音楽みたいな曲も書けるし。ピアノソナタの第四楽章なんかを聴いてみると、ミニマルミュージックみたいな感じで、同じ運動の繰り返しなんだけど、微妙に色が変わっていくようなフーガとかもあるし。コンピュータの打ち込み音楽みたいに正確無比な音が並んでいるような音楽なども。

学指揮:先天的にそういう才能がもともとあって……。

角田先生:環境が良かったからね。お母さんがアマチュアのピアニストで、親戚にオペラ歌手や作曲家がいた。音楽学校でも良い先生についていたし、とにかく音楽的な環境に恵まれていた人です。

学指揮:バーバーの源流はそういうところにあるんでしょうか。

角田先生:バーバーの源流はどこだろうね。彼が敬愛していたのはバッハとスクリャービンとラフマニノフだったけど。でもパリにも行ってたし、少し先輩にはコープランドやガーシュウィンとかもいたし、いろいろ混ざっているのかなと思いますけど。

学指揮:井上先生もお会いしたことあるとか仰ってました。1970年くらいまで生きてたんですかね。

角田先生:もうちょっとじゃなかった?僕が生まれた80年はまだ生きていたはずだから(笑)

学指揮:じゃあもう結構面白いトリオですね、この3人は(笑)

角田先生:さて、「悪口学校」序曲だけど、ひとつの噂がどんどん膨れ上がっていって人に伝播していくような様子とか、それがあたかも本当のことであるかのようになる感じとか、悪口が擬人化されてる雰囲気なんかは曲想からしっかり感じ取れるんじゃないかなと思います。

学指揮:物語の筋通りになってるとかではないけど、っていう雰囲気なんかを感じ取ってやっていると。

角田先生:あと、今回京大オーケストラに初めて呼んでもらったんですけど、「今回はいつもと違うことやっているぞ」、「新しいことに挑戦しているぞ」、っていうのを何かやりたくて。そういう意味では出だしの響きからして、「何か違う」みたいなところが感じ取ってもらえるんじゃないかな。

学指揮:バーバーとか全然今までやったことがないので、普段来てくださっているお客様が聴いても、全然違うなっていう感じがあるかと。

角田先生:うん、すごくインパクトがある。

学指揮:そうですね(笑)

角田先生:僕、最初にこれを聴いたときね、「!」ってなって引き込まれたから。

学指揮:僕も選曲で初めてみんなで聴いたとき、「おお……」ってなりましたね(笑)「う~ん、これをやるのか」っていう感じで。こういう始まり方も、新しくていいんじゃないかなと思いますね。

角田先生:うん。名前のインパクトもあるしね。

学指揮:そうですね(一同笑)

交響的舞曲 Op.45


第203回定期演奏会の最後を締めくくる交響的舞曲は、セルゲイ・ラフマニノフ(Серге́й Васи́льевич Рахма́нинов、 1873-1943)によって1940年にニューヨークで作曲されました。京都大学交響楽団では幾度かラフマニノフの曲を取り上げてきましたが、交響的舞曲を取り上げるのは初となります。

ラフマニノフは1873年4月1日、ロシア北西部の自然豊かな場所に生まれました。幼少期に音楽の才能を見出されたラフマニノフは音楽院に入学し、熱心な勉強の末ピアノ科と作曲科を首席で卒業します。卒業後は作曲と自曲の演奏で生計を立てていましたが、1917年の十月革命を機に家族とともにロシアを発ち、出国後は演奏家としての活動が中心になります。今回演奏する交響的舞曲は出国後に書かれた数少ない曲のうちの1つであり、また人生最後の作品です。題名にあるとおり当初はバレエの振付が予定されていましたが、振付師が完成前に死去したため実現しませんでした。

交響的舞曲は交響曲のように一貫した3曲の舞曲集です。ラフマニノフはこの曲を通して人生を回想したとされ、場面ごとの状況や感情をリズムで表現したと言われています。第1曲では、3曲を通じて用いられる3音のモチーフが湧き出ると、なにかに立ち向かうような闘争的なリズムの後、いかにもラフマニノフらしい望郷のフレーズがアルトサクソフォンを皮切りに様々な楽器で演奏されます。続いて初演で失敗し演奏禁止としたはずの交響曲第1番がとても穏やかな伴奏の上に引用され、苦い記憶を昇華させるかのような半音の音階と神秘的な鉄琴、3音のモチーフの再現で消えるように幕を閉じます。第2曲は衝撃的なファンファーレに始まり、当時の混沌とした情勢を映したアンニュイなワルツが繰り広げられます。第3曲では真夜中を意味する12回の鐘の音をきっかけに、死を意味するグレゴリオ聖歌の「怒りの日」と、主の復活を讃えた自作の聖歌『徹夜禱』のフレーズを交互に稠密に展開させ、最後は”Alliluya”(主の復活を讃えよ)の言葉とともに『徹夜禱』が盛大に鳴り響くものの、どちらに転ぶかわからない人生の結末を暗示するかのように、長調とも短調ともつかない「空虚五度」とよばれる重音と鐘を模した銅鑼の響きで幕を閉じます。

参考文献

C.I.ソコロワ. ラフマニノフ その作品と生涯. 新読書社, 2009.
ニコライ・バジャーノフ. ラフマニノフ : 伝記. 音楽之友社, 2003.
ユ・パニゾフスキー. ラフマニノフと20世紀初頭のロシア音楽文化. 白梅学園短期大学紀要2. 1966, A1-A15
ラフマニノフ 交響的舞曲: 作品45 (Miniature score). 音楽之友社, 2016.

交響曲第104番 二長調『ロンドン』


京都大学交響楽団が定期演奏会の曲としてハイドンを取り上げるのは、2003 年の第 173 回定期演奏会以来、実に 15 年ぶりのことになります。ハイドン(Franz Joseph Haydn,1732-1809)は親しみを込めて「パパ・ハイドン」、「交響曲の父」、そして「古典派音楽の確立者」と呼ばれています。 彼はオーストリアのハンガリー国境に近いローラウという村で、車大工の息子として生を 受け、教会にて合唱教育を施されました。また、「すでに六歳で若干のミサ曲を完全に歌いこなせた」とハイドン自身が述べているように、聖歌隊の活動を熱心におこなっていました。

ハイドンの音楽家としての仕事は 29 歳の時、ウィーンに拠点を置くエステルハージ侯に副楽長として迎えられたことに始まり、34 歳には楽長に就任しました。27 歳から 63 歳までの間に作曲した交響曲は 100 曲を超えています。

今回演奏する「交響曲第 104 番ニ長調『ロンドン』」は、ロンドンの興行主 J.P.ザロモン[i]の依頼で作曲した 12 曲のうちの一つで、『ロンドン』の副題は 12 曲の最後ということで後世につけられたものであり、フレーズや曲の内容がロンドンに関係があるわけではありません。この曲はハイドンが最後に作曲した交響曲で、彼が人生の中で培ってきた作曲技術がふんだんに用いられた傑作です。

第一楽章では、全管弦楽による序奏部の重々しいユニゾンの動機が、圧倒的な迫力と鮮やかな印象を与えます。ここで強調される五度、四度、二度という三つの基本的な音程が、四つの楽章の主な素材となっており、交響曲全体に見事な関連性を与えています。長い休止の後、軽やかな旋律で曲が進み、第一主題の動機が最初に登場した時とは違った調で再現されます。この手法はハイドンが好んで利用したものでした。

第二楽章は、明るい雰囲気の冒頭部から少し怪しい雰囲気の中間部に流れていきます。主題旋律が数小節だけ歌われたのち、短調のままそのフレーズが展開され、また明るい長調に戻っていきます。和声進行で表現された緊張と開放が交互に訪れ、晩年のハイドンが多用した中間に暗い部分を含む形式で、ゆったりとした楽章となっています。

第三楽章は、メヌエットの形をとっています。メヌエットからトリオを経て、またメヌエットに戻るといったこの手法は、古典音楽の第三楽章においてよく使われていました。冒頭で第三楽章の主題が何度も繰り返された後、ドイツ舞曲風のトリオが現れます。メヌエットに戻る前に数小節つなぎの部分が存在し、そこではオーボエと第一バイオリンがユニゾンで動き、後半部ではフルートの独奏が響きます。

第四楽章ではチェロとホルンが一貫して主音を響かせつつ、第四楽章の第一主題が反復されます。これまでの三つの楽章で使われたフレーズと新しい動機が組み合わさりながら曲が進み、第一主題に基づいて効果的に曲が締めくくられるという、たくみに構成された大規模なソナタ形式のフィナーレです。

「交響曲第 104 番ニ長調『ロンドン』」は、ハイドンの交響曲の集大成です。さまざまな主題、動機とその展開を味わいながら聴いていただければ幸いです。

参考文献

執筆者多数『最新 名曲解説全集 第 1 巻 交響曲I』音楽之友社 1979 年 中野博詞『ハイドン交響曲』春秋社 2002 年
久保田慶一『西洋音楽史 100 エピソード』教育芸術社 2012 年 (「トリオ」の項目)『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』Britannica Japan 2014 年

[i] J.P.ザロモン…Johann Peter Salomon 1745 年 2 月 20 日受洗 – 1815 年 11 月 28 日 音楽興行主であり、ほかにも作曲、指揮、バイオリン演奏など活動は多岐に渡ります。生まれはドイツですが、当時はロンドンに活動拠点を置いていました。

文責:Va 澤野 日菜子

序曲『悪口学校』 Op.5


サミュエル・バーバー(Samuel Osborne Barber II, 1910-1981)は、アメリカ合衆国の作曲家です。1986 年の映画『プラトーン』の作中に使われた「弦楽のためのアダージョ」でご存知の方もおられるかもしれません。決して日本での知名度は高くありませんが、その作品が持つ落ち着いた雰囲気と、精緻な管弦楽書法、そしてロマン派的な要素などを特徴とする、現代アメリカを代表する作曲家の一人です。幼い頃から音楽の才能を発揮し始めた彼は、14 歳の時にフィラデルフィアのカーティス音楽院に入学し、その在学中、21 歳の頃に今回演奏する「序曲『悪口学校』Op.5」を作曲しました。初演はフィラデルフィア管弦楽団により、1933 年に行われました。

タイトルの『悪口学校(The School for Scandal)』とは、イギリスの作家リチャード・ブリンズリー・シェリダン(Richard Brinsley Sheridan, 1751-1816)の同名の戯曲からとられています。イギリスの社交界を舞台に、立派で道徳的な人物だが実際は偽善家かつ陰謀家である兄・ジョーゼフと、浪費家で放蕩三昧だが実は心優しい人物である弟・チャールズの二人が中心となって繰り広げられる喜劇です。本国イギリスではシェイクスピアの戯曲と並ぶ人気を誇り、1771 年の初演時から大成功をおさめ、幾度となく上演されています。

バーバー自身は、戯曲の物語をなぞって作曲したわけではなく、標題音楽的な要素も認めていないようですが、曲の全体にわたり、その物語の雰囲気を反映するかのような、様々なモチーフが散りばめられています。長調と短調の二つの和音が組み合わさった不穏な響きと共に始まると、まるでオーケストラが笑うように軽妙なリズムに乗って展開する場面や、オーボエ、クラリネットなどの木管楽器群が奏でる美しい旋律、金管楽器群の力強いパッセージなど、様々な表情の変化を見せます。どことなくアメリカ映画音楽のようなものを感じる方もいらっしゃるかもしれません。

初めにも紹介した通り、この作品はバーバーが21 歳の時に書かれた作品ですが、既に彼の非常に高い作曲技術が見てとれます。京都大学交響楽団がアメリカ人作曲家の作品を取り上げる機会はそれほど多くはありませんが、練習に練習を重ねて生まれた表情豊かな演奏にご期待ください。またバーバーがシェリダンの物語からどのようなヒントを得て作曲したのか、考えながら聴いてもお楽しみいただけることでしょう。

参考資料

・Encyclopaedia Britannica
 Samuel Barber
 Richard Brinsley Sheridan
 The School for Scandal
・Samuel Barber: “The School for Scandal” Program Notes(1965) – New York Philharmonic ・Samuel Barber, 1910-1981 – Library of Congress
https://www.loc.gov/item/ihas.200182572/ (2018 年 4 月 26 日閲覧)
・Overture to the School for Scandal – About the Work – Thomas May, The John F. Kennedy Center
http://www.kennedy-center.org/artist/composition/5664 (2018 年 4 月 26 日閲覧)
・佐々木健二郎著『米国クラシック音楽ガイド』東京キララ社(2009) ・シェリダン作、菅泰男訳・解説『悪口学校』岩波文庫(1981)
・Samuel Barber – Overture to “the School for Scandal”, G.Schirmer, Inc.

文責:Perc. 廣戸諒太郎

サン=サーンス 交響曲第3番ハ短調『オルガン付き』


C.サン=サーンス(Charles Camille Saint-Saens,1835-1921)は、フランス音楽界を代表する作曲家です。パリ音楽院に学び、オルガンとピアノの名演奏家として名を馳せる一方、作曲家としても様々な分野で活躍しました。第202回定期演奏会で演奏する交響曲第3番「オルガン付き」は彼の代表作であるだけでなく交響曲史に残る傑作です。

「オルガン付き」(avec organ)という通称の通り、この交響曲ではオーケストラの編成にパイプオルガンが組み込まれています。交響曲の中でオルガンを使う、という構想はこの曲が初めてではありません*1が、交響曲の中でオルガンが時に独奏楽器ふうに、時にオーケストラと一体になって大活躍するという点で「オルガン付き」は他の楽曲とは一線を画しています。 楽器編成と並んで特徴的なのがその構成・構造です。2つの楽章からなり、それぞれが前後半の2つに分かれているという独特な形式ですが、4楽章構成としてみると「急-緩-舞-急」の古典派的な配列*2となっており、独創的なスタイルと伝統的な様式が融合しています。また、循環主題と呼ばれる幾つかの主題が全曲を通して形・調性・楽器を変えながら何度も現れ、曲を支配する構造になっています。

第1楽章前半部(Adagio – Allegro moderato) 序奏付きの自由なソナタ形式

アダージョの神秘的な序奏に続き、暗い影のような主題が弦楽器に現れます。影は木管楽器に受け継がれ、いたる所にその姿を見せます。金管楽器も加わりオーケストラは厚みを増してゆき、再現部では木管楽器を伴った弦楽器がフォルテッシモで劇的に立ち上がり、音楽の立体感は頂点に達します。クライマックスが過ぎると音楽は潮が引くように徐々に落ち着き、終結部は低弦のピチカートとともにどこかへ消えてゆくように終わります。

第1楽章後半(Poco Adagio) 自由な変奏曲の形式

 安らかに響きわたるオルガンの和音に続いてオーケストラが優美な旋律を奏でます。静かに祈るような弦楽器のメロディをクラリネット、ホルン、トロンボーンが受け継ぎ、それぞれの楽器の音が溶け合うような神秘的な音色が響きます。音楽は徐々に色彩を増しながら情感豊かに盛り上がってゆき、最後は眠りに落ちるように終わります。

第2楽章前半(Allegro moderato – Presto – Allegro moderato – Presto) スケルツォ*3

 冒頭から弦楽器のユニゾンでドラマティックな主題が登場し強烈なキャラクターが示されます。快速なPrestoの中間部でははしゃぐような木管楽器と鮮やかなソロ・ピアノが音楽を盛り上げるのが印象的です。揺れるような木管楽器に彩られながらやわらかな弦楽合奏が現れ、木管楽器が受け継ぎます。再びピアノが現れ木管楽器と絡み合い、力強い和音が中間部を締めくくります。再現部では主部の展開が繰り返され、再びPrestoに入ります。中間部の再現のようでありながら、低弦を中心に新しい主題が現れ、徐々に重なり合って発展していきます。終結部では再び不穏な影が現れますが、フィナーレへと繋がる美しい和音に導かれます。

第2楽章後半(Maestoso) ソナタ形式

 オルガンの堂々とした和音によって幕を開けます。続いて弦楽器、木管楽器が力強く歩み出し、四手の連弾ピアノが祝福するような輝かしいフレーズを奏します。影のようだったテーマは長調に転じ、2ndバイオリンとチェロに始まるフーガ*4や、華やかな金管楽器のファンファーレとして高らかに演奏されます。最後はオルガンとオーケストラが一体となり、ホール全体に響き渡る輝かしい和音のうちに締めくくられます。

1886年、この曲はサン=サーンス自身の指揮によって初演され、空前の大成功を収めました。グノーやベルリオーズ以来、長らく交響曲の書かれる機運のなかったフランスですが、「オルガン付き」以後、ラロやフランク、デュカスらが素晴らしい交響曲を発表し、その後も多くの作曲家が続きます。サン=サーンスと「オルガン付き」によって、フランスにおいても交響曲は作曲家にとって欠かせない重要なジャンルとして蘇ったのです。

ホール全体に響き渡るオルガンの音色やオーケストラとの有機的な絡み合い、そして形を変えながら何度も現れる循環主題の発展――演奏会では、フランス音楽の金字塔とも言えるこの曲ならではの様々な聴きどころをお楽しみ下さい。

 *1 リスト「ファウスト交響曲」(1857年初演)などがある。ちなみにリストはサン=サーンスと親交が深く、交響曲第3番には「亡きフランツ・リストの思い出に捧ぐ」という副題が付けられた。
*2 全4楽章で、「第1楽章:アレグロソナタ/第2楽章:緩徐楽章/第3楽章:メヌエットまたはスケルツォ(舞曲)/第4楽章:アレグロソナタ」という構成。
*3 スケルツォ(scherzo):楽曲の1種で、「諧謔曲」の意。3拍子で、舞踏的な性質を持つものが多い。ベートーヴェン以降、交響曲の第3楽章によく用いられた。
*4 フーガ(fuga):主題とその模倣が複数の声部で交互に現れる楽曲形式。

【参考文献】

全音楽譜出版社(2015)『サン=サーンス 交響曲第3番〔オルガン〕』
音楽之友社(2004)『新編 音楽小辞典』
パウル・ベッカー,松村哲哉訳(2013) 『オーケストラの音楽史:大作曲家が追い求めた理想の音楽』白水社

演奏会序曲『南国にて(アラッシオ)』


エドワード・エルガー(Sir Edward William Elgar 1st Baronet,1857~1934)は、行進曲『威風堂々』や『エニグマ変奏曲』などで有名な、近代英国で活躍した作曲家です。

エルガーはイングランド中西部の小都市ウースターで生まれ、そこで音楽教師、地方作曲家としてその半生を送りました。1889年に教え子の一人だったキャロライン・アリス・ロバーツと結婚し、その年の秋本格的な作曲活動のためにロンドンへ進出するも失敗、1年余りでウースターへと戻ります。その後、音楽教師をするかたわら地道に作曲活動を続けていましたが、1897年ヴィクトリア女王即位60周年を記念して作曲した『英国行進曲(Imperial March, op.32)』がヒットしたことから人生の転機が訪れ、1899年に『エニグマ変奏曲(Enigma Variations)』を発表し音楽界から注目をあびます。その後、序曲『コケイン(ロンドンの下町にて)Cockaigne(In London Town)』、行進曲『威風堂々(Pomp and Circumstance)』第一番など名作を立て続けに発表し、国民的作曲家としての地位を確立しました。

エルガー一家が北イタリアのリヴィエラ地方へ保養に出かけた際に、イタリアの風物や歴史から受けた印象を音楽化した作品が、序曲『南国にて(In the South)』です。一家は1903年12月11日にジェノアとニースの間にある海沿いの小さな街アラッシオに到着し、そこで年末年始を過ごしました。1904年1月3日の午後、エルガー一家はアラッシオ町の背後に立つ山の頂にある小村モーリオを訪れました。エルガーとその娘カリスはその「モーリオ」という語感がいたく気に入り、曲の随所にこの「モーリオ」をモチーフにしたメロディーが現れます。その数日後にはアンドーラを訪れ、古代ローマ時代の遺跡を目にし、曲へのインスピレーションが沸いたとされています。

序曲『南国にて』は、正格のソナタ形式からはかなり自由なスタイルでかかれており、事実上の交響詩といえます。冒頭、二小節の短い前奏の後、雄弁な第一主題がチェロとホルンによって演奏されます。リヒャルト・シュトラウス(Richard Georg Strauss,1864~1949)の交響詩『ドン・ファン(Don Juan)』*2を思わせるこのきらびやかなフレーズには、イタリアに到着した旅人の高揚した気持ちが表現されています。続いてヴァイオリンによって演奏されるフレーズは、前述したモーリオをモチーフにしたメロディーであり、その変形が続けて演奏されます。

旅人の興奮が静まると、モーリオののどかな風景を思わせる第二主題を弦楽器が演奏します。やがてクラリネットによるモーリオの主題を経て、重々しく威厳のある「ローマ人の主題」がトゥッティで演奏されます。この主題は執拗に繰り返され、かつてのローマの栄光と、ローマに踏みにじられた諸民族の悲惨が想起されます。

「ローマの栄光と悲惨」が過ぎ去ると、旅人は再び現実へと引き戻されます。星の瞬きを思わせるグロッケンシュピールの響きに導かれ、ヴィオラ独奏の牧歌的で憂愁を帯びた旋律が奏でられます。イタリア語で「カント・ポポラーレ(Canto Popolare)」(民謡)と名付けられたこの旋律は、のちに独奏ヴィオラや独奏ヴァイオリン用にも編曲された有名なメロディーです。イタリアの素朴な民謡を思わせますが、実はすべてエルガーの創作であったとされています。

ヴィオラ独奏が終わると、再び先行する諸主題が自由な形で展開されます。最後は、第一主題が管楽器群によって華やかに繰り返されて終わります。

躍動的な主題から重々しく壮大な響き、のどかで牧歌的な旋律まで、色彩豊かでたくさんの魅力が詰まった作品です。ぜひ演奏会でお楽しみください。

*1 リヴィエラ地方:イタリア北西部の沿岸に位置する地方。
*2 交響詩『ドン・ファン』:リヒャルト・シュトラウスが1888年に作曲した交響詩。

参考文献

・『エドワード・エルガー 希望と栄光の国』水越健一著 武田書店
・『イギリス音楽の復興 音の詩人たち、エルガーからブリテンへ』マイケル・トレンド著 木邨和彦訳 旺史社刊
・『エルガー 序曲《南国にて》』 日本楽譜出版社

美しく青きドナウ


ヨハン・シュトラウスⅡ世(Johann StraussⅡ) は、数々のワルツやポルカなどを世に出し、父ヨハン・シュトラウスⅠ世同様、ワルツ王の名を得たオーストリアの作曲家です。
シュトラウスⅡ世は作品番号がついているものだけでも生涯に166曲のワルツを作曲し、彼独自の明るく夢見るような旋律は初期の作品からみられています。

 

美しく青きドナウではウィンナ・ワルツのリズムがとられています。ウィンナ・ワルツの成立には、ダンスの動きの変化が深く関連しています。その基本ステップは、前の小節の3拍目から1拍目で長めに滑り出し、2拍目にかけて回転し、3拍目は軽く両足を揃えるというもので、このようなウィンナ・ワルツの動きが、早めの2拍目、浮いた感じでありながら次の小節へ滑り出す3拍目、という特徴を生み出したといわれています。勢いよく回りながら先へと進み加速をもたらし、規則正しいリズムが崩れ、ワルツの新しいリズムが生まれました。その動きはメロディにも全く新しい躍動をもたらしたとされています。

不朽の名作である「美しき青きドナウ」は、敗戦に打ちひしがれていたウィーンの人々を励ますために作曲されたものでした。1866年に普墺戦争に突入したオーストリア帝国はプロイセンに敗北し、ドイツ諸邦に対する主導権をプロイセンに奪われることになります。その苦しい空気はウィーンにも漂っていました。それを払拭したいと思ったシュトラウスⅡ世はこのワルツを草案し、ハンガリーの詩人カールベックの詩の最後の一行を取って、「美しく青きドナウ(のほとりで)(An der schönen blauen Donau)」と名付けたのです。

初演の際の合唱の歌詞は警察の役人ヨーゼフ・ワイルによって作詞されたウィーンの人々を励ます内容のものでした。しかし、ウィーンが敗戦のショックから立ち直るにつれての歌詞も合わなくなり、この歌詞で上演されたのはわずか7回だけでした。その後シュトラウスⅡ世はパリのコンサートにてオリジナルに若干手をくわえて歌詞なしでの演奏を行うようになりました。それが期待以上に好評を得て、このドナウ・ワルツは世界中で演奏される名曲へとなっていったのです。

この曲は序奏から始まり、第一ワルツから第五ワルツ、そしてコーダで構成されています。

序奏では朝もやに輝くドナウのさざなみを表すヴァイオリンのトレモロに乗って、第一ワルツの旋律が夜明けを告げます。ホルンのソロが牧場のアルペンホルンのように鳴り響いてきます。そしてチェロも入ったところで本格的に朝が到来し、ワルツへと続いていきます。

ゆったりとした旋律の後ハープをきっかけにワルツが始まりますが、第一ワルツへの運びかたは指揮者やオーケストラによってさまざまで、とくに3拍目に演奏者の個性が表れます。

第ニワルツでは、ヴァイオリンのトレモロに乗って管楽器が水の精のように戯れます。やがてトレモロはハープに移行し、フルートとヴァイオリンが流麗な旋律を奏でます。
 

続く第三ワルツは、休符から次の小節へかかるタイで生まれるアクセントのリズムによって生き生きと跳ねる感覚が特徴です。


第四ワルツはこの作品中で最も優雅な部分です。思わせぶりなクレッシェンドと休符で溜めて、遊びながら次のアクセントのついた一拍目の音へ持っていくところにウィーンらしさがみられます。
 

第五ワルツでは、第一ワルツの音型をひっくりかえしたような旋律から始まります。舞踏会もクライマックスを迎え全員がくるくる輪になって回っている様子を思わせる華やかなワルツとなっています。

コーダでは、急にテンポを上げ、勢いを増していきます。そしてワルツの主要旋律が少しゆっくりになり、ホルンとチェロで瞑想のように美しく奏でられます。最後にヴァイオリンの小刻みな波の上をファゴットとホルン、低弦部が刻みながら追い立て、怒涛のように勢いよく下りながら、力強くドナウの物語を完結させます。

この曲にまつわる有名なエピソードとして、ブラームスが扇子に「私の作品であればよかったのに」と書いたというものがあります。今日ではオーストリア第二の国歌と呼ばれて世界に広がり、現在でもウィーンやヨハン・シュトラウスⅡ世の代名詞となっているこの名曲。ぜひ美しいドナウ川の情景を思い浮かべながらお聴きください。

出典・参考文献

解説関根裕子(2015)『J.STRAUSSⅡ』,音楽之友社

加藤雅彦(2000)『ウィンナ・ワルツ:ハプスブルク帝国の遺産』,日本放送出版協会

小宮正安(2003)『ヨハン・シュトラウス:ワルツ王と落日のウィーン』,中央放送出版社協会

交響曲第5番ホ短調


日本で最も親しみのある作曲家の一人であるチャイコフスキー(Pyotr Ilyich Tchaikovsky1840-1893)はロシアのウラル地方のヴォトキンスクで生まれました。彼は20代前半まで法務省に勤めた後、ペテルブルク音楽院を卒業。その後モスクワに拠点を移し、音楽活動に励みました。チャイコフスキーはロシアにおける代表的なロマン派(※1)の作曲家のひとりです。また彼は、ロシアの民族主義的な芸術音楽の創作を志向した代表的な作曲家集団であるロシア五人組(※2)とも交友を持ち、国民楽派としても知られています。叙情的なメロディや絢爛豪華な雰囲気がわかりやすく幅広い人々に人気な一方、一見単純に見えるが独特で精巧なオーケストレーションも高く評価されています。

 

今回我々が演奏する「交響曲第5番ホ短調」は彼の残した作品のなかでも有名な曲の一つです。彼は1877年に「交響曲第4番」を作曲してから「マンフレッド交響曲」(※3)を作曲したことを除くと、交響曲から遠ざかっていました。しかし西欧での演奏旅行を通じて得た現地での好評や、マーラーやリヒャルト・シュトラウスらとの交流が刺激になり、再び交響曲に取り組んだとされています。

 

この作品のスケッチには『運命の前での完全な服従』『不満、疑い、不平、非難』『信仰の抱擁に身をゆだねる』『慰め』『一筋の光明』『いや、希望はない』といった言葉が残されており、この作品の曲想を伺わせます。実際、この曲の序奏のテーマは「運命」だと言われておりますが、この「運命」はさらにいえば「抑圧された」という言葉が付随するような印象を持ちます。この序奏の旋律は曲全体を貫く基本楽想であり、全楽章に散りばめられています。

 

ソナタ形式の一楽章はクラリネットによる序奏の暗い「運命の動機」に始まります。「前に進みたいけれどなかなか進めない」といったイメージをわかせる第一主題と、ワルツ風で綺麗な第二主題が奏でられます。一度は高揚を見せるものの、暗く重い結末で終わります。
 二楽章はホルンによる美しいメロディに始まり、二つの主題が交差しクライマックスを迎えます。そしてクラリネットにより短調の新しい旋律が導かれ盛り上がったのち、突然「運命の動機」が突きつけるように奏でられ静かに終わります。
 三楽章ではスケルツォではなくワルツが用いられ、重い雰囲気を忘れたように華やかなメロディが印象的です。最後に思い出したかのように「運命の動機」がクラリネットとファゴットにより奏でられ、四楽章に突入します。
 この四楽章冒頭では「運命の動機」が堂々と演奏され、明るい結末を予測させるようです。曲調はどんどん高揚していきコーダでは有無を言わさぬ圧倒的な迫力と悠然たる雰囲気のなか、「運命の動機」が奏でられます。

 

このように、交響曲の全体にわたって「運命の動機」が様々な表情を持って登場します。この曲のテーマとされる「運命」についてのストーリーを思い浮かべながら聞いてみるのもいかがでしょうか。

(※1)ロマン派音楽(ロマンはおんがく)は、18世紀から19世紀にかけて様々な芸術に影響を残したロマン主義の精神によって古典派音楽から発展していった、ほぼ19世紀のヨーロッパを中心とする音楽を指す。

(※2)ロシア五人組とは、19世紀後半にロシアで民族主義的な芸術音楽の創造を志向した作曲家集団である。

(※3)1885年にチャイコフスキーが、五人組の一人であるバラキエフにより「バイロンの『マンフレッド』による標題交響曲」という発想を提供され、作曲した曲である。

参考文献 チャイコフスキーの音符たち 池辺晋一郎の「チャイコフスキー考」 池辺晋一郎 音楽之友社
ロシア音楽の魅力 グリンカ・ムソルグスキー・チャイコフスキー 森田稔 ユーラシア選書
ポケットスコア『チャイコフスキー 交響曲第5番』園部四郎解説 全音楽譜出版社

『ウィンザーの陽気な女房たち』序曲


『ウィンザーの陽気な女房たち』の作曲者であるオットー・ニコライ(Carl Otto Ehrenfried Nicolai,1810-1849)は、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の前身であるフィルハーモニー・アカデミーを設立したことでも知られているプロイセン(現在のドイツ)の音楽家です。

『ウィンザーの陽気な女房たち』はW.シェイクスピアの同名の喜劇に基づく三幕のオペラです。音楽の組み立てにおいては「劇的なドイツ的要素」と「装飾が多く軽快なイタリア的要素」とが効果的なバランスをとっていて、ドイツのオペラ界では一時、同じ原作を用いたヴェルディの「ファルスタッフ」を凌ぐ人気がありました。

舞台はイングランドの地方都市ウィンザー。太った老勲爵士のファルスタッフは経済的に困窮していました。そこで彼はウィンザーの名士であるフルート夫人とライヒ夫人の二人を籠絡して二人から援助を受けることで苦難から脱出しようと考えます。手始めに二人の夫人に恋文を送ったファルスタッフですが、同文の手紙を送っていたことが夫人たちにばれてしまいます。腹を立てた夫人たちは図々しいファルスタッフへの復讐を企てました。
夫人たちの計画と並行して、別の恋物語が進みます。ライヒ夫人は娘のアンナを地主貴族のシュペールリヒと結婚させたいと言います。しかしシュペールリヒだけではなく、医師のカイウス先生と青年フェントンもアンナと結婚したがっていました。フェントンはアンナとの結婚をしきりに懇願しますが、無駄に終わります。ところが実際は、当のアンナはシュペールリヒではなくフェントンのことを好いていたのでした。
夫人たちはファルスタッフを洗濯籠の中に隠れさせて、川に投げ込むという計画を成功させます。しかし、ファルスタッフはめげずに夫人たちの誘惑を続けるのでした。
一方、夜のライヒ家の庭ではアンナがよく庭を散歩する時間を見計らってシュペールリヒが現れますが、カイウス先生が来たため身を隠します。そしてその後フェントンの足音を聞いたカイウス先生も身を隠します。そこにアンナが現れ、フェントンと愛を誓い合ったのでした。それを影で見ていたシュペールリヒとカイウス先生は激しい怒りを抱きます。
フルート夫人とライヒ夫人は夫たちに状況を説明すると、みなでファルスタッフが忘れられないような懲らしめ方をしようということになります。また、アンナは母にはカイウス先生と、父にはシュペールリヒと結婚するように手配したと言われます。しかし彼女は両親の意に反して、フェントンと結婚すると強く決意します。
夫人たちの計画に苦しめられたファルスタッフは、自分のしたことを認め謝罪します。そしてアンナは両親にフェントンとの結婚を受け入れさせて、物語は大団円に終わります。

ニコライ作曲、歌劇『ウィンザーの陽気な女房たち』序曲は、題名の示すように陽気で、明るく軽快な旋律に満ちた作品で、このオペラ全体の雰囲気を感じられます。ぜひ、私たちの演奏で味わってみてください。

・参考資料
新グローブ オペラ事典
(スタンリー・セイデン編 中矢一義/日本語版監修 白水社2006)

オックスフォード オペラ大事典
(編著者ジョン・ウォラック、ユアン・ウエスト 監訳者大崎滋生、西原稔 平凡社1996)

『ニコライ 歌劇「ウィンザーの陽気な女房たち」序曲』(溝部国光著 日本楽譜出版社)より 解説

交響詩『真昼の魔女』


アントニン・ドヴォルザーク(Antonín Leopold Dvořák 1841-1904)(※1)は、交響曲第9番『新世界より』やスラヴ舞曲集などで有名なチェコの作曲家です。チェコの中心都市プラハの郊外にある農村で生まれた彼は、地元やプラハの教師たちから専門的な教育を受けて音楽家になりました。彼はワーグナーやブラームスといった名作曲家たちから影響を受けながら、当時の西洋音楽の中心地であるドイツやフランスとは異なるチェコ民族独自の音楽を目指して数々の美しい旋律を生み出しました。

50歳代になり一流作曲家としての地位を固めたドヴォルザークは、招かれて渡ったアメリカからチェコへ帰国した翌年の1896年に4つの交響詩を作曲しました。交響詩『真昼の魔女』は、このうちの第2曲にあたります。4つの交響詩は、チェコの伝承や民話を研究した詩人エルベン(Karel Jaromír Erben 1811-1870)の詩集「花束」に収められたバラードから着想を得て作られました。民話を元にしたこれらのバラードには、真面目さや純真さといったチェコの民俗的気質と民衆の生き生きとした想像力が表れており、ドヴォルザークに強い魅力を感じさせ、交響詩の作曲へと誘いました。

『真昼の魔女』の話の筋は単純で、元になったエルベンの詩では3つの部分に分かれます。はじめに登場するのは食事の用意をしている母親と独りで遊んでいる子供です。言うことを聞かない子供に腹を立てた母親は、「真昼の魔女」を呼ぶといって子供を脅します。すると魔女が実際に現れ、子供をよこせと迫ります。教会の鐘の音が魔女を退散させますが、帰宅した父親が見たのは、意識を失い倒れた母親と冷たくなった我が子でした。ドヴォルザークはこれに魔女の踊りの部分を差し挟み、交響詩として完成させました。

交響詩『真昼の魔女』は、繋げて演奏される交響曲のように4つの部分から成っています。曲の半分を占める第1の部分では、平和な田園風景が子供の泣き声と母親の怒りによって変化していく様子が描かれます。ここではクラリネットによる滑らかなフレーズとヴァイオリンによる鋭く区切られた下降音形が登場しますが、これらはそれぞれ「子供の主題」と「母親の叱責の主題」と呼ばれることもあります。以降はこの2つのフレーズが変奏、反復されて曲の全体を構成していくことになります。そして、母親が魔女を呼ぶ場面では、第3部の魔女の踊りのフレーズがちらりと登場します。


第2の部分は、交響曲でいう緩徐楽章の役割を果たします。醜い魔女がゆっくりと現れ、子供を奪おうと迫ります。ここでは第1部で登場した「母親の叱責の主題」が変化し、魔女が親子に迫るシーンに用いられます。襲いくる魔女と子供を守ろうとする母親が交互に描かれ、次の第3部へと続きます。

第3の部分は、ドヴォルザークが挿入した風変わりなスケルツォ(※2)です。魔女が親子の周りをグロテスクなステップで踊り回り、恐怖は最高潮に達します。第1部で出た「子供の主題」が、グロテスクな「魔女の踊り」に変貌します。第3部の最後では教会の鐘が正午を告げ、ようやく魔女は去っていきます。

第4の部分では、父親の帰宅と悲劇的な幕切れを描きます。何も知らない父親が見たものは、気絶した母親とその胸に抱かれている息絶えた子供でした。最後に第2部と第3部で現れた魔女のフレーズがもう一度演奏され、魔女の恐ろしさを思い出させながら曲は終わります。

 

交響詩『真昼の魔女』は、劇的な物語と個性的なキャラクターを巧みな音楽の構成で見事に表現したドヴォルザーク円熟期の価値ある作品です。そのストーリーを想像しながら、ぜひお聴きください。

(※1) Dvořákの日本語での表記については、この稿では従来の慣行に従いドヴォルザークとしました。
(※2) スケルツォ:ベートーヴェン以降、交響曲などの第3楽章によく用いられた3拍子の軽快な曲。

参考文献
音楽之友社編 1993年 『作曲家別名曲解説ライブラリー⑥ ドヴォルザーク』音楽之友社
ショウレック著 渡鏡子訳 1961年 『ドヴォルジャーク 生涯と作品』音楽之友社
ギー・エリスマン著 福本啓二郎訳 1975年 『不滅の大作曲家 ドヴォルジャーク』音楽之友社
下中邦彦編 1982年 『音楽大事典 第3巻』平凡社