J.シベリウス
交響曲第2番 ニ長調


ラパッロの風景

ラパッロの風景

『交響曲第二番』は、フィンランドの作曲家・シベリウス(Jean Sibelius 1865 – 1957)が35歳の時に完成させた作品です。
シベリウスによる『交響曲第二番』の最初のスケッチは、その前に作曲された『交響曲第一番』の大成功に後押しされたのでしょうか、『交響曲第一番』の初演(1899年4月26日)からわずか2カ月後になされています。彼が本格的に『交響曲第二番』の作曲に取りかかったのは、1901年2月から3月にかけて、家族と共にイタリア・ラパッロに滞在していた時でした。冬の寒さが厳しい北欧・フィンランドの気候に対して、イタリアは南国であるために、2月であるにもかかわらず様々な木々が生い茂り、多くの花々が咲き誇ります。彼はこのラパッロの環境を「魔法がかった国」と感嘆し、彼の作曲のスケッチは急速に進みました。最初は四楽章構成の交響詩のつもりで着想を開始しましたが、思索を続けるうちに交響曲へと構想が変化・固定していったようです。その後、イタリアのドン・ファン伝説(第二楽章の主題との関連が指摘されている)や、ローマ滞在中に聞いたとされるパレストリーナ(Giovanni Pierluigi da Palestrina 1525/26 – 1594, ルネサンス期の作曲家)の宗教音楽などの影響を受け、『交響曲第二番』はシベリウスのフィンランド帰国後の11月に完成をみました。そして年末の大幅な改訂ののち、1902年3月8日、『交響曲第二番』の初演が作曲者自身の指揮において行われ、大成功を収めました。すぐに3回の追加コンサートが行われましたが、いずれも満席だったといいます。
『交響曲第二番』には、上述のように南欧の伝説・宗教・芸術などから触発されている要素が見受けられ、そのためか後期ロマン派、国民楽派にも通ずるような、豊かで多彩な表現が目立ちます。その一方で、非常に短いモティーフであっても、それを何度も展開させて用いるといった、ベートーヴェンの交響曲のような要素も覗われます。また『交響曲第二番』では、第三楽章から第四楽章へは休みなく演奏するように指定されている点が特徴的ですが、そのフィナーレへのなだれ込むような移行は、一般に『運命』として知られているベートーヴェンの『交響曲第五番』の手法とよく似ており、シベリウスがベートーヴェンの作曲法を研究したのではないか、とする論者もいます。この曲が“シベリウスの田園交響曲”とも呼ばれるのは、これらの要因からなのかも知れません。
シベリウスは生涯で7つの交響曲を書いていますが、『交響曲第二番』はこれら7曲のうちで最も重要な作品とされており、“クラシックの定番”の一つです。現在でも頻繁に演奏され、親しまれている『交響曲第二番』をどうぞお楽しみください。

文:195期HP広報部