W.A.モーツァルト 交響曲第31番 ニ長調 KV 297(300a) 『パリ』

 幼いころから演奏旅行を繰り返していたヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart, 1756-91)ですが、21歳の時にはマンハイム・パリ旅行へと旅立ちました。その際、当時パリで催されていた演奏会である「コンセール・スピリチュエル」の支配人をしていたジャン・ル・グロから交響曲の作曲を依頼されました。それにより、ほぼ毎年のように交響曲を作曲していたモーツァルトにしては珍しく、前作から実に3年半を空けて書かれた交響曲が《交響曲第31番 ニ長調 KV 297(300a) 「パリ」》となります。

 この曲の第一の特徴は、クラリネットを初めて採用した完全な2管編成をとっていることです。この編成は、その後の交響曲においてすら《交響曲第35番「ハフナー」》以外には用いられなかったことからも、その珍しさが窺えます。マンハイムで管楽器の重視による色彩効果やダイナミックな表現法などを学び、稀にみるほど優れたオーケストラに驚きを受けたモーツァルトが、華麗な作曲様式の息づいていたパリでその経験を早速創作に還元したことがわかります。

 第二の特徴は、モーツァルトにしては珍しいほどの推敲が重ねられて完成したことです。第1楽章と第2楽章については自筆譜が残されており、それを見ると彼が無駄のなさや簡潔さを求めていかに苦心したかがわかります。特に第2楽章は、転調が多すぎることと長すぎることがル・グロの気に入らず、まったく異なる第二稿を書いたほどでした。このようにモーツァルトは時に自分の考えと異なることを要求されながらも、パリの聴衆のためにこの交響曲の作曲に取り組み続けたのです。

 以上のことから、モーツァルトがどれほど意欲的にこの交響曲を作曲したかがお分かりいただけるのではないでしょうか。そして彼が随所に仕掛けたこだわりも相まって、《パリ交響曲》の初演は大成功に終わりました。そして今日でもなお、その後の彼の個性的な様式による交響曲創作の新しい一歩となる重要な作品として、その評価は高いものとなっています。

文責:神谷泰輝(Vc.2)