J.シベリウス 交響詩『フィンランディア』Op.26

 ジャン・シベリウス(Jean Sibelius, 1865-1967)は、フィンランドを代表する作曲家であり、《交響 詩「フィンランディア」》は彼の作品の中でも、とりわけ広く親しまれています。この曲は19世紀フィ ンランドにおける厳しい政治的背景のもと作曲されました。フィンランドはそれまでスウェーデンに 支配されていましたが、スウェーデンがロシアのフィンランド侵攻を撃退できなかったため、1809 年にフィンランドはロシア帝国の支配下に置かれることになりました。はじめこそフィンランドは優 遇政策を受けていましたが、欧州の自由思想がフィンランド内に広がることを恐れたロシアは、次 第に官僚支配と言論統制を強化していきました。ロシアのこの強権に対抗するような形で、フィン ランドには自国のアイデンティティを追求する考えが広がっていきました。まずは《カレワラ》をは じめとする文学の世界において、これに音楽、建築、絵画などが追随し、のちに展開されるナショ ナリズム運動に結実するのです。そんな文化的潮流の中、ロシアはさらに強い対応を取ります。 1899年2月15日の二月宣言に端を発して、フィンランド政府の権限縮小と議会の廃止、ロシア軍 への徴兵、ロシア語を公用語に加える言語宣言などの厳しい措置を講じていきました。

 これらの政策がとられていた1899年の秋、フィンランドではロシアへの反抗意識から芽生えた愛国独立思想が一層強まり、フィンランドの太古から現在に至るまでを描く舞台劇《歴史的情景》の上演が計画されました。シベリウスはこの劇付随音楽を作曲することになります。《交響詩「フィンランディア」》はこのうちの最終曲である《フィンランドは目覚める》が演奏会用に改作されて生み出されました。

 1900年にはパリ万博が開催され、フィンランドもロシア部門として参加することになりました。ここにヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団が参加し、シベリウスも作曲家としてこの大規模なヨーロッパ遠征公演に同行することとなりました。《フィンランディア》もここで演奏されることになりましたが、多くの場合《祖国》や《即興曲》と名前を変えて演奏されました。これは《フィンランディア》という、ロシアに対して極めて挑発的なタイトルの曲が、ロシア当局の厳しい検閲をすり抜けることができなかったためです。名前こそ変えられましたが、曲に込められたメッセージが失われることはなく、《フィンランディア》は聴衆に好意的に受け入れられました。これによってシベリウスは国際的な評価を得て、《交響曲第2番ニ長調Op.43》などの代表作の作曲へとつながっていきます。

 その後フィンランドは帝政ロシアの崩壊とともに独立を果たしますが、内戦や第二次世界大戦などの冬の時代が続きます。この曲が今日でもフィンランドの人々に愛されているのは、長く冷たい夜を経験したフィンランドにおいて、この曲が不滅の朝日のように輝いているからかもしれません。

文責:川久保毅(Va.3)