『エグモント』序曲 Op.84は、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven, 1770-1827)がゲーテ(Johann Wolfgang von Goethe, 1749-1832)原作の悲劇『エグモント』のために書いた10曲からなる劇音楽のうち、最初に演奏される作品です。当時、フランス軍に占領されていたヴィーンで劇場救済基金のための慈善興行が計画されると、その中心をなす演目としてシラー(Johann Christoph Friedrich von Schiller, 1759-1805)原作の『ウィリアム・テル』とゲーテ原作の『エグモント』という舞台劇に音楽を付ける案が浮上しました。そして前者の担当としてギュロヴェッツ(Adalbert Gyrowetz, 1763-1850)というボヘミアの作曲家が、後者の担当としてベートーヴェンが選ばれました。この時の裏話について、ベートーヴェンの弟子ツェルニーが次のように述べています。「ベートーヴェンは『ウィリアム・テル』の方を切望したのですが、何やら舞台裏では作曲依頼をめぐってだいぶん陰謀がめぐらされたらしく、とうとう最後に『ウィリアム・テル』より作曲し難い『エグモント』の方がベートーヴェンに廻されてきたのです。しかしかれはこの劇音楽で『天才の力』を存分に発揮し、名作を書き残しました」。なお、大作曲家であると同時に熱心な読書家でもあったベートーヴェンがゲーテを高く評価していたのも事実であり、「私が『エグモント』のために音楽を作ったのはひたすらゲーテの詩作品への敬愛からです。彼の詩は私を幸福にしてくれるのです」との言葉も残されています。
それでは、ゲーテの『エグモント』のあらすじを見ていきましょう。エグモントとはオランダの独立運動の初期に活躍した実在の人物であり、戯曲『エグモント』では史実をほぼ忠実に踏襲しつつ、エグモントを愛するクレールヒェンという女性を登場させることにより、愛の死による救済がテーマとされています。舞台は1567年のスペイン統治領ネーデルランデ、ここではカルヴァン派の民衆がそれを認めないスペインの圧政に苦しんでいました。民衆の苦しみを知ったエグモントは祖国の独立のために立ち上がるのですが、体制側に捕らえられ、国家反逆罪で斬首刑の宣告を受けます。クレールヒェンはあらゆる手を尽くしてエグモントを救出しようとするも、万策つきて望みも絶たれ、失意のうちに服毒自殺してしまいます。そして死刑執行の時がきて断頭台に連行されるエグモントの眼前に突然クレールヒェンの幻影が出現し、エグモントの勇気と正義を誉め称え、その行動を祝福するのです。
序曲では、以上のあらすじが巧みに暗示されています。この曲で核となっているのは、スペイン側の圧政を象徴していると考えられるサラバンド特有のリズムに由来する主題と、物語の悲劇性を示唆するような下行音形です。特に、コーダ手前でホルンがサラバンドのリズムを演奏しヴァイオリンが鋭い四度下行で締めくくる場面は、スペインによる圧政の犠牲としてエグモントに斬首刑が宣告される場面のようで印象的です。またそれに続くコーダでは、序曲以外の劇音楽に現れる動機の使用や、戯曲中の描写に基づく楽想の展開がなされており、ベートーヴェンのこだわりが特に強く表れているといえるでしょう。そんなこだわりが熱狂のうちにまとめ上げられるこのコーダは、ベートーヴェンの作品の中でも指折りの完成度を誇っています。
ところで《エグモント》は、暴君による圧政に苦しむ英雄が捕らえられ救済(救出)されるというテーマが基本にあり、そこに女性の愛が絡むというパターンで、奇しくもベートーヴェン唯一のオペラ《フィデリオ》と共通しています。これは、ボン時代に啓蒙主義に触れ、初期のナポレオンに民衆の英雄を見出し、さらにヴィーン会議以後の反動的なメッテルニヒ体制に対して反発していた自由主義者たるベートーヴェンが、政治に対する心情を素直に表現できたものとも見ることができます。加えて《エグモント》はベートーヴェンの尊敬するゲーテの物語が下地となっていることもあり、特にベートーヴェンらしい活き活きとした書法を楽しめる曲となっています。今宵はドイツが生んだ二人の巨匠の間に生まれたこのような傑作を、少しでも深い理解とともに皆様にお届けできれば幸いです。
文責:神谷(Vc.3)