A.ドヴォルザーク 交響曲第7番 ニ短調 Op.70

ドヴォルザークという作曲家は、一言で言えば「職人的」な作曲家です。彼の前半生は、様々な種類の音楽を学び、それらをしっかりと身に付けることにあてられました。そのため彼は必要に応じてあらゆる様式の音楽を書くことができました。しかし、このような器用な作曲家がしばしば陥るジンクスがあります。それは「何でも書ける」がゆえに、「何も書けない」ことです。他人の言葉でもそれらしく語ることができるドヴォルザークは、自身の言葉で語ることが苦手な作曲家でした。

彼の音楽を特徴づける土着的な響きは、決してチェコという国に根ざしたものではありません。特徴的な音階やリズムによって支配されているあの「個性的」な音楽は、実際には、ヨーロッパの中心すなわちドイツやフランスの作曲家が自分たちよりも文化的に低次な中東欧の音楽を様式化して「それっぽく」作ったものを、ドヴォルザークが身に付けたということに由来しています——この問題に関して、エドワード・サイード(Edward Said, 1935-2003)の『オリエンタリズム Orientalism』(1978)を参照することは欠かせないでしょう——。またしばしば指摘される彼の人生におけるブラームスの重要性やその影響関係の指摘も、彼が自身の言葉をなかなか話せないことを強調しているにすぎません。人生や影響関係から音楽を語ることは、ドヴォルザークという作曲家の内なる声を覆い隠してしまいます。以下では、《交響曲第7番》という作品の内部に分け入ることで、この傑作の根底にあるもの——すなわち、「普遍性」「歌」の希求——に耳を傾けてみたいと思います。

第1楽章 Allegro Maestoso, d-Moll

音楽は極度の緊張をともなった最弱音によって幕を開けます。「弱音」は張りつめた空気を作ることによって時に「無音」以上の静けさを生み出します。たったひとつの音しか存在しない始原の世界、それがこの作品の最初の舞台です。そこからの展開は、この作曲家の他の作品ではほとんど見ることのできない極めて高度な技巧による混沌としたものとなっています。減七和音、解決しない掛留音、偽終止などの技法を駆使することによって生み出される斬新な響きと先の見えない不安定さは、次第にかたちをなしてゆき、副次主題へと流れ込んでいきます。

「ここではないどこか」を想うこと、それはロマン主義の芸術家にとってもっとも重要なテーマのひとつでした。ドヴォルザークにおいて、それは故郷への郷愁と分かちがたく結びついています。しかし副次主題で彼が描いているのは「チェコの音楽」ではありません。ここで描かれているのはいわば「故郷の歌」そのものなのです。彼がチェコを連想させるためにしばしば用いる特徴的な5音音階がここでは用いられていないということがそれを裏付けています。ここで個人的な感情に由来する歌は、「普遍的な表現」へと昇華されたかたちであらわれてくるのです。

最終的に音楽は静寂が支配するあの混沌とした世界へと再び還っていきます。そしてそのなかから不意に浮かび上がってくるのは、リヒャルト・ヴァーグナーの《トリスタンとイゾルデ》に登場する〈憧憬のモチーフ〉です(T.299ff.)。これをヴァーグナーへの信仰の表明と解し、単なる影響関係に引き戻してしまうことは、この「引用」の意味を見逃すことにつながりかねません。ではいったいドヴォルザークはこの引用で何がしたかったのでしょうか? その答えは第2楽章の記述に譲ることとします。

第2楽章 Poco Adagio, F-Dur

緩徐楽章は傑作揃いの《交響曲第7番》のなかでも白眉の出来といえるでしょう。冒頭に置かれた「巡礼者の行進」は、ベルリオーズ以来多くの作曲家によって用いられた書法であり、素朴な美しさをたたえています。しかしこの音楽は長続きしません。この楽章の表現の特徴として予期に反するような急激なクレッシェンドが挙げられます*1。「平穏と激情の強烈な対照」——これこそこの楽章の形成原理に他なりません。その根底にあるのは悲劇的な感情であり、その抑圧こそがこの音楽を形づくっているのです。そのためどれほど哀愁に満ちた旋律も、清らかな音楽の流れも、瞬く間に激情の音楽へと変容します。楽章の終盤では、抑えきれなくなった感情が溢れだし、壮大な管弦楽法による感動的な頂点を迎えます。

ところでドヴォルザークは《自然と生命と愛》という組曲を作曲しています。このうち第3曲の「愛」にあたるのがシェイクスピアの戯曲からその名前が採られた序曲《オセロ》です。この作品は戯曲『オセロ』を音楽化したものではありません。ドヴォルザークはその愛と嫉妬が死を導いてくる悲劇的な物語の名を借りることで、作品の性格を特徴づけたのです。そしてドヴォルザークと戯曲『オセロ』を音楽的に結びつけるのは、再びヴァーグナーでした。序曲《オセロ》では、いよいよ音楽が核心に迫るという場面でヴァーグナーの《ニーベルングの指環》で登場する〈眠りのモチーフ〉が引用されます。ここからはドヴォルザークという作曲家のなかに存在する連想を読み取ることができます。つまりドヴォルザークの音楽のなかでは、ある種の「普遍性」を兼ね備えた悲劇作家としてシェイクスピアとヴァーグナーが呼び起こされているのです。この交響曲の根底にある悲劇性、その刻印は本楽章の後半において再びヴァーグナーの《トリスタンとイゾルデ》からの「引用」(T. 68ff.)によって確かなものとして浮かび上がってきます。19世紀の音楽史についての記念碑的な著作を記した音楽学者Carl Dahlhausはドヴォルザークについての記述を、彼の「引用技法Zitattechnik」を称賛することでもって終えています*2。引用によって「内的プログラム inneres Pragramm」を暗示することで音楽をまとめ上げる手つきにこそ、ドヴォルザークという作曲家の真髄は見られるのです。

第3楽章 Vivace, d-Moll

スケルツォ楽章にはチェコの民族舞踊である「フリアント」に特徴的な2拍子と3拍子が交錯するリズムが用いられています。これは前作の《交響曲第6番》のスケルツォ楽章で初めて取り入れられたものでした。しかし《第6番》において楽譜上にはっきりと書かれていた「フリアント」の文字が、本作では削除されていることは注目に値します。つまり民族舞踊の単なる模倣であった前作とは異なり、本作では民族舞踊のリズムは、交響曲という芸術作品を構築する表現の本質的な要素へと昇華されているのです。

第4楽章 Allegro, d-Moll

終楽章は唸り声をあげるような強烈な主題によってはじまります。この主題に用いられる増2度音程、和声の不安定さ、フレーズ構造の不明瞭さなどはすべてこの楽章全体の性格を指し示していますが、一方でこの主題の「歌唱性」は注目に値します*3。後期の主要作品をよく知っている方は、ドヴォルザークと聞いて「歌」と言われても当たり前のように思われるかもしれません。しかし、彼の初期作品を丹念に見ていくとそこに作曲家の個性が刻印されたような「歌」は思いのほか少ないことがわかります。断片的なモチーフを集積したような印象の強い交響曲全体は、終楽章において「歌」によってまとめ上げられます。副次主題の美しい旋律などはその最たるものでしょう。ただしその後の展開の速さはほとんど常軌を逸していると言えるもので、実際にその統一的な形態はすぐに崩壊してしまします。

この交響曲は曲名に記されている通り「ニ短調」で書かれており、基本的にはニ短調の暗い音調が支配的になっています。しかし終楽章の結尾から数えて6小節目、音楽は突然「ニ長調」となり輝かしい終焉を迎えます。これは何を意味しているのでしょうか?少なくともベートーヴェンの《第5番》で見られたような「苦難を乗り越えて勝利へ」の物語とは異なることは確かでしょう。それを解くカギのひとつは最後の和声進行にあります。楽曲全体の結尾を飾るこの和声進行はプラガル終止と呼ばれ、キリスト教の讃美歌の最後に置かれる「アーメン」の言葉にしばしばあてられるものです。破局的な様相を見せる音楽に対して、作曲家は「神による救済」を望んだのか?もしくはまったく別の意味があるのか?これについてここで判断を下すことはしません。全曲を聴いたうえでお考え下さい。


自分の声を持たない作曲家、どうしても聴衆の反応ばかりを気にしてしまう作曲家が、心からやりたかったことのできた唯一の作品。そこに刻み込まれた「普遍性」と「歌」の希求に耳を傾けてみてはいかがでしょうか。

文責:岡本雄大(Vc. 6)


*1 Tovey, Donald Francis. [1935] 1981. Symphonies and other orchestral works. New York: Oxford University Press. S. 276.
*2 Dahlhaus, Carl. 1980. Die Musik des 19. Jahrhunderts. Neues Handbuch der Musikwissenschaft; Bd. 5. Laaber: Laaber-Verlag. S. 229.
*3 Steinbeck, Wolfram. 2002. Die Symphonie im 19. und 20. Jahrhundert, Teil. 1 Romantische und nationale Symphonik. Handbuch der musikalischen Gattungen; Bd. 3, 1. Laaber: Laaber-Verlag. S. 293.