客演指揮者 角田鋼亮先生インタビュー

2023年12月14日に行われたインタビューの全文を公開します。

総務:最初に客演指揮の依頼について、5年ぶりに同じ指揮者をお呼びさせていただいたという、京大オケとしては短い期間での2度目の共演となりました。先生が今回の客演指揮の依頼を引き受けてくださった理由やその時のお気持ちを聞かせていただきたいです。

角田先生:5年という時間が僕にとっては短いのか長いのか、コロナもあったのでわからないけれども、前回の皆さんとの共演の時間が自分にとって本当に尊いものになり、その 良い印象がずっと残っていて、その記憶があるうちにまたこうして皆さんとご一緒できることをとても嬉しく思っています。最近は大学オーケストラとの共演の時間が少なくなっていましたが、やはりこうしてご一緒してみると、長時間にわたって音楽を創っていけるという環境が整っているので、そういった意味でも自分にとってかけがえのないものだなと実感しています。

総務:ありがとうございます。続いて京大オケについて、5年前の京大オケと比べて今回の京大オケが変わった所あるいは逆に変わっていない所がありましたらお聞かせいただきたいです。

角田先生:そうですね、それほど何か大きく変わったという印象は正直ありません。逆に言うと、京大オケが脈々と受け継いでいる良い伝統というのがそのまま残っていますかね。それは音楽に対する真摯な姿勢や練習中の集中力であったり、向上心や探究心であったり。それから、こちらが発する言葉に対して、それをどのように自分たちの中に取り込んでいこうかといった眼差しや試みは以前からあって、今回もそれを感じます。

総務:ちなみに原さん(=学指揮)は5年前には京大オケにいらっしゃいましたか?

学指揮:いなかったです。5年前は6月の方の演奏会での共演で、角田先生が指揮をされた当時ご一緒した団員は全くいなくなっています。そういう意味では、ちょうど入れ替わりになったというある意味良い偶然だったなと思いました。

角田先生:そうですね。それでもやはり、親近感を抱きますね。 それは例えば僕の出身中高の卒業生が団員の中に沢山いたり、また京大オケを出た方で、今もたまにご一緒するような方も結構いたりして、彼らから常日頃京大オケのお話を聞いているので、それもあるのかなと思います。やはり僕自身も日々いろいろ変わっていきたいと思っていますし、好奇心旺盛な方だと思うので、そういった意味で皆さんの姿勢には共感する所があります。「柔らかい真面目さ」みたいなものが京大オケの中にはあって、それが僕の中では非常に好感を持っているところですね。 決して凝り固まるのではなく、柔軟性もある真面目さのようなものが良い所だと思います。

学指揮:まだ猫を被っているだけかもしれない(笑)

(一同笑)

角田先生:そうなのか(笑)
でも確かに前回の本番の時に、一枚皮が剥がれたというか、こちらから見えていなかった別の生き物が現れた感じもあって、それを含めて楽しかったです。

学指揮:前で見ているとまだ皆緊張しているのだろうなというのは感じます(笑)
ただ、一緒に演奏している中で先生にほぐしていただいたというか、徐々に変わってきているなと思うところもあります。まだこれは固いなというのは相変わらずそのままなので、次回、そして本番までには良くなっていくことを願うばかりです。

総務:5年前の京大オケと今の京大オケについてお話を聞かせていただきましたが、次は今の京大オケに求めることや期待することがありましたらお聞きしたいです。

角田先生:今回だからということではないのですが、皆さんは技術力も高いし音楽性も表現力もあると思う一方で、やはり音を出している時の創造性やコミュニケーション、音のキャッチボールというのがさらに密になると良いなと思います。語学で例えると、皆さんは語彙もあるし、文法もしっかり頭に入っていて、読み書きは100点だけれど、では実践のフリーカンバセーションではどうかといった時に、その持っている能力を活かして、さらにその先のやり取りができているかどうかというところでは、まだ伸び代があると思っています。そこが今後、期待している所ですかね。

総務:練習で用意しているところ以上に、その場の音楽的なコミュニケーションや瞬発力であったり、あるいは原さんも非常に大切にされていた「聴く」ということであったり、そのような部分でもう一つ次のステップに進めるのかなと思います。

角田先生:そうです。 あとは「目」ですね。やはりこちらが言葉にならない想いや表情というのを伝えるので、それをどう汲み取ってどう音に反映させるかといったところを一緒に作っていけると良いのかなと思いますし、それは各パートのちょっとした動きや呼吸の種類などによってもっとバラエティ豊かになると思っています。 そこがもうひとつ、いろいろな種類・吸収が欲しいなという感じです。野球でいう変化球のような。皆さん割と全部ストレートが多いので(笑)

(一同笑)

学指揮:繊細さと大胆さといいますか、先ほどのテスト話ではないですけれど、楽器を吹けて100点みたいなところで止まるということはよくあります。その後のカンバセーションのお話が僕はすごく納得しました。どう投げ合っていくかという部分はまだまだですね。

角田先生:それでもその壁を越えられる下地を絶対に皆さんはお持ちなので、非常に楽しみですし、5年前の共演でも最後にその壁を越えられたかなと思っています。きっと大丈夫です。

総務:ありがとうございます。では次にプログラムについてお聞きします。選曲の際、最初にドヴォルザークの交響詩(『英雄の歌』)を挙げていただきましたが、その理由をお聞かせください。

角田先生:ドヴォルザークの交響詩は、僕が留学したベルリンでは非常に人気があって、よく演奏されていたのですが、日本に帰ってきてみるとなかなか取り上げられていない印象がありました。スコアを見てみると、やはり本当に充実した内容があります。メロディー、対旋律、Bassのライン、ハーモニー、形式、そしてそこからイメージされる歴史や情景、自然など様々なものが混ざり合って、複雑に絡み合って曲になっているので、読み取らないといけないことがもの凄く沢山あります。そういった作品というのは、長期間練習される大学のオーケストラにとってはとても良い題材になると思ったので推薦させてもらいました。それと、例えば今から30年前に、ある大学オーケストラがマーラーをやって、それからマーラーをどの大学オケも多く取り上げるようになりましたし、ブルックナーもそうでしたよね。 そのような感じで、京大オケ発信で大学オケのレパートリーというのが、またちょっと違う展開を見せてくれると良いのかなと思いました。5年前もラフマニノフの交響的舞曲やバーバーなど変わり種をしましたけれど。いつも例えば(有名な)ドヴォルザークの交響曲第8番です、チャイコフスキーの交響曲第5番です、というのではなくて、もっと若い方に世の中にはこんなに素晴らしい曲が沢山あるのだということを演奏者だけではなくてお客様にも知っていただきたいです。 その運動の発信源に京大オケの皆さんが是非なっていただくと良いかなと思ってマイナーではあるけれど名作のドヴォルザークの交響詩を選びました。

学指揮:名前は聞いているけれど実際の演奏を耳にしたことはないというような印象が僕にはありました。団員の中でも、なぜこんなに素晴らしい曲にもっと早く気付かなかったのだろう、といった声が複数聞こえてくるほどです。とっても重いですが、良い曲だなと思いながら向き合っています。魅力があり、掘れば掘るほどどんどん出てくるような。

角田先生:そうですね。

総務:ドヴォルザークの交響曲第7番も確かに第8番や第9番に比べれば学生オーケストラで扱われる機会が少ないという気がしています。

角田先生:そうですね。アンサンブルがとにかく難しいかもしれません。ですが、ドヴォルザークの最も書きたかったことが残されている作品だと思います。チェコの歴史・風土、それから大きなテーマになっているのがヤン=フスについてです。書き方としての器用さ、スマートさというのはないかもしれないけれど、それだけ彼の気持ちが全部詰まっているような、想いが強く伝わってくる作品です。

学指揮:(交響曲)第8番、第9番とは違う面白みというのはありますよね。

角田先生:そうですね。やはり第8番、第9番になるともっと無駄なくと言いますか、効果的、効率的に書かれているように思います。オーケストレーションがどんどん卓越されていき、全ての記号も存在する意味がちゃんとあるように書かれています。それに対して第7番には様々な要素が渾然一体となった部分もあるし、独創的なアイディアをそのまま磨かずに残した部分もあって、大事に汲み取りたいところですよね。曲中のモチーフには、音程構造として発展させにくい要素もありますが、それでもその瞬間にはあれが書きたかった、必要だったと思ってドヴォルザークは書いていた。そういった、気持ちが先走ってしまって筆も走っているような所がとても愛おしいなと思っています。

学指揮:楽譜の指示にある所ない様々ですけれど、(第7番は)第8、9番よりテンポとして結構揺れがあって、それが心情から来るもののように、一楽章の最後や四楽章の途中などで少し前に出るところ、少し後ろにいくところ、と結構出てくるという印象を受けているので、そのような部分も大事にしていきたいなと思っています。

総務:『英雄の歌』とドヴォルザークの第7番という並びにブラームスの気配を少し感じるような気がします。『英雄の歌』の選曲の際にブラームスについて、また、結局「英雄」は誰を指しているかというお話をしていただきました。

角田先生:はい。これ(第7番)の一つ前の第6番という作品は完全にブラームスの(交響曲)第2番をお手本にしています。また、ドヴォルザークが世の中に出ることができたのはやはりブラームスの力が大きいということで、ずっと恩を感じていた、そして尊敬していたというのがあり、逆に彼から離れようともしたけれども、それでもやはり彼の影響が見て取れます。モチーフの音程や主題労作だけではなく、例えば全体の構成の仕方、クライマックスになったらどのような楽器が出てくるかというような点でも大きく影響を受けていますね。

学指揮:『英雄の歌』は、(ドヴォルザークの)最後の交響詩の他の4曲とは少し違うというところもありますね。

角田先生:はい。前四作はエルベンという人の詩に基づいて書きました。『英雄の歌』では恐らく、音楽を特定の話に限定しないで普遍的な方向に持っていきたかったのかなと。基本的に交響詩というのは詩があって、つまり言葉や文章に基づいて曲を書きますが、そこからは離れる、けれども絶対音楽でもないというのがドヴォルザークとして一番やりたかったところなのかなと思います。漠然としすぎない、けれど特定の話だけでもない。

学指揮:『英雄の歌』・交響曲第7番ではドヴォルザークのちょっと違う側面というか、世の中ではあまり映し出そうとされない部分を今回我々お届けできるということで、何かお客様に伝えられればなと思います。

総務:では最後に『エグモント』についてもお願いいたします。

角田先生:『エグモント』は僕がご提案した曲ではないですけれども。

学指揮:はい、こちらから提案させていただきました。

角田先生:ですが、なるほどなと思いました。というのは、ドヴォルザークの第7番がヤン=フス、つまり民衆のために闘って、最後はその活動がもとで処刑されてしまったという人ですが、エグモントも時代は違いますが同じような人ですよね。ですから両曲とも英雄の死というのが曲の中に閉じ込められ、描かれている。その共通点に感心しました。あと、ここは面白いなと思ったのは、”C-Des-C-As”というエグモントのモチーフ(<図1>)と、”B-As-B-Des”という(『英雄の歌』の)モチーフは鏡写しのようになっているわけです。『英雄の歌』では短二度で下って上がってから三度上がって、エグモントでは逆になりますよね。ベートーヴェンもドヴォルザークもやはりモチーフというものを使って曲を構成した人たちなので、そういった共通項で曲を聞いていただけるという面でも非常に面白いのではないかなと思いますね。

エグモント 英雄の歌

総務:ありがとうございます。最後に、ご来場くださるお客様や配信でご視聴くださる皆様に先生からメッセージをお願いいたします。

角田先生:(今回のプログラムは)三曲とも本当に名曲です。それを実力のある京大オーケストラと練ってお客様にお出しできるということは大変価値のあることだと思いますし、指揮者の力量も試されます。 準備万端で、そして覚悟を持って皆様にお届けしたいと思いますので、ぜひお楽しみください。

総務・学指揮:ありがとうございました。

集合写真

文:214期HP広報