A.ブルックナー 交響曲第4番変ホ長調『ロマンティック』

今から丁度200年前の1824年、ブルックナーはリンツ近郊の村・アンスフェルデンで生まれました。貧しい家の出だった彼は当初、教職で生計を立て、後にオルガニストとして名を馳せるようになります。

作曲家としてはかなり遅咲きで、作曲修行の集大成として《交響曲ヘ短調》を書いた時には既に40歳近くになっていました。しかし、その後72歳で亡くなるまでの30年余で10曲の交響曲を手掛けました。

《交響曲第4番》は、6曲目にして初めて長調で書かれた交響曲です。その後長調の交響曲が3曲続くことから、彼の創作活動の転換点の1つといえる作品です。

ブルックナー作品にはありがちなことですが、本作品も複数回にわたって改訂が行われました。そのため、この作品には以下のような複数の稿が存在します。

①第1稿(1874年稿)
②第2稿(1878/80年稿)(②’終楽章1878年稿)
③第3稿(1888年稿)

ここでは、この作品の複雑な成立過程について詳説を試みることにしましょう。
ブルックナーは《交響曲第3番(『ヴァーグナー』)》(第1稿)を1873年の大晦日に書き上げると、その2日後、1874年1月2日には《交響曲第4番》のスケッチに着手しました。創作中に教員としての仕事が減少したこともあり貧困に悩まされながらも、同年秋に完成します(第1稿)。やがてこの稿は批評家タッペルト(Wilhelm Tappert, 1830-1907)の協力のもとベルリンでの初演が計画されますが、実現することはありませんでした。ブルックナーはタッペルトに「私は自分が数多くの模倣によって作品を損ねてしまっていたことに気付いて愕然としております」、「私は、第4、ロマンティシェ交響曲が根本的な改訂を是非とも必要としていることに完全な確信を抱きました」などと手紙を送り、《第4番》の改訂に着手しました。
丸1年を要したこの改訂では、第3楽章が完全に書き直されたほか、他の楽章も短縮され、さらにリズムや楽節構造、楽器法、デュナーミクなどあらゆる側面から手が加えられました(第2稿、1878年稿)。
《弦楽五重奏曲》の完成や《交響曲第6番》への着手の後、ブルックナーは第4楽章に対する更なる改訂を始めました。現在一般的に演奏される版は、1880年6月5日に完成したこの稿に基づいています(第2稿、1878/80年稿)註1
初演は1881年2月20日にハンス・リヒター指揮ヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団によって行われました。批評の論調はまちまちだったものの、聴衆からは熱烈に歓迎されました註2。また、同年12月10日のカールスルーエでの上演はドイツ帝国におけるブルックナー初演となりました。
やがてこの作品の出版の見通しが立つと、ブルックナーは弟子のレーヴェに校正を依頼しました。ブルックナーはこの校正に対し、丹念に目を通した上で正式に認可しています(第3稿)。ただし、シンバルやピッコロの使用などブルックナーらしからぬ箇所もあり、ブルックナーがこの校正にどの程度乗り気であったかには議論の余地があります。
前述のタッペルトへの手紙にもある通り、ブルックナーは遅くとも改訂以前にはこの作品を『ロマンティシェ Die Romantische』と呼んでいたようです。また、複数の書簡や資料において、各楽章や主題に対して以下のような標題的な説明がなされています。
第1楽章
 第1主題: 完全な夜の静けさのもと、町の庁舎から夜明けを告げるホルン
 第2主題: 四十雀の「ツィツィペー」という鳴き声註3
第2楽章: 歌、祈り、小夜曲
第3楽章
 主部: 狩り
 トリオ: 狩人たちの前で食事の間に演じられる舞曲
第4楽章: 楽しく過ごした一日の後に突然降り始めた夜の俄雨、民衆の祭り註4
ただし御覧の通り、これらの説明は何か一貫した物語を成してはおらず、あくまで個々の部分の印象を表すものといえます。『ロマンティシェ』というタイトルも、特定の物語の描写を意味するのではなく、作品の漠然とした雰囲気を言い表したものと解釈するのが妥当でしょう。

それでは、各楽章の構成に視点を移してみましょう。

第1楽章

ブルックナーの他の交響曲と同様に、主題を3つ持つソナタ形式による楽章です。
弦楽器の最弱音でのトレモロから、ホルンによる第1主題が浮かび上がります。この主題は全曲を統一する主要主題と見做すことが出来、動機そのものが度々現れるほか、動機を特徴付ける5度の跳躍も各楽章の主題に共通するものとなります。木管楽器によってこれが繰り返された後、特徴的なリズムの経過主題が強奏されます。このリズムは「ブルックナー・リズム」と呼ばれることもありますが、特にこの作品では統一的に用いられています。
やがて軽やかな第2主題や重厚な第3主題が続き、長大なクレッシェンドを経て、金管楽器によって頂点が築かれようとしますが、程なく静かに提示部が終わりを迎えます。
展開部では、まず第1主題がより劇的に現れます。やがて、ヴィオラを中心とする対旋律を伴って、厳かなコラールが鳴り響きます。弦楽合奏による第2主題の展開を経て、再現部に至ります。
再現部ではほぼ型通りに各主題が現れますが、第1主題では新たにフルートやチェロによる対旋律が加わります。コーダは比較的簡潔なものですが、最後はホルンによって第1主題が輝かしく印象付けられます。

第2楽章

冒頭にチェロが示す第1主題と、コラール風挿入句の後にヴィオラが独白する第2主題による楽章です。この第1主題の冒頭にもやはり5度跳躍が含まれています。
2つの主題が提示されると、第1主題が展開されていき、この楽章最初の山場を迎えます。やがて2つの主題が再現され、第1主題が再び展開されます。そして楽章最大のクライマックスに到達しますが、最後はティンパニの再弱音で幕を閉じます。

第3楽章

スケルツォは通常3拍子ですが、この楽章はブルックナーの交響曲のスケルツォの中で唯一2拍子で書かれています。
第1楽章同様、弦楽器のトレモロの中ホルンが颯爽と主題を奏でます。この主題は楽譜上にも「狩りの主題 Jagdthema」と書かれていますが、この主題も第1楽章第1主題から派生した要素を含んでいます。目まぐるしく移ろう和声とともに主題が様々に展開されていきます。
トリオ(中間部)は対照的に室内楽的で鄙びた性格を有しています。終始持続音を伴っていることも特徴的といえるでしょう。この後、スケルツォ(主部)がそのまま繰り返されます。

第4楽章

第1楽章同様ソナタ形式によりますが、より自由な構造を持ちます。低弦が同音を執拗に繰り返す中、主題の断片が音色やリズムを変えて繰り返されます。その中には第3楽章の主題も紛れ込みます。やがて全合奏によって第1主題が示されますが、あたかも短調で書かれているようで、そこには第1楽章のような明るさはありません註5。しかし、すぐに第1楽章の第1主題が燦然と姿を現します。
第2楽章を彷彿とさせる主題が示されますが、すぐにより無邪気な第2主題が現れます。続く第3主題は荒々しいものですが、長くは続かず、第2主題による夢見心地な楽節で提示部が終わります。
展開部では3つの主題が順に扱われますが、第3主題に第1主題が融合される場面ではブルックナーの作曲手腕が光ります。再度第1主題が展開され、ティンパニが静かに残ります。
再現部は第3主題部を欠き、さらに短縮されています。そして静かにコーダへと到達すると、弦楽器のトレモロの中で第1主題の動機とその反行形が繰り返されます。やがてより長い流れが生み出され、第1楽章の第1主題が回帰します。しかしヴァイオリンのトレモロに含まれる変ハ音(変ホ長調には含まれていない音)がなおも翳りを与えます。ブルックナーの完成した10曲の交響曲の殆どが大団円で閉じられることを踏まえると、異例の幕切れといえるでしょう。
フルトヴェングラーの言う「崇高な」側面故に、ブルックナーは玄人向きとされてしまうことも少なくありません。しかし一方で、親しみやすい部分も多々あることは本日の演奏をお聴きいただければきっとご理解いただけることでしょう。これをきっかけとして、生誕200年という節目の年に、「ブルックナーの天才の独自なあり方」の虜となっていただけることを、一介のブルックナー・ファンとして切に願いつつ、本稿の締めとさせていただきます。

文責:池田智之(Cond.6)

註1: ハース版はこの稿に忠実に基づいている。一方で、ノーヴァク版では1886年になされた微修正も反映されている。
註2: この演奏会のリハーサルの後、ブルックナーが感謝の意を表してリヒターに硬貨を贈ったことが知られている。
註3: 厳密には日本に生息するものとは別種で、「ヨーロッパシジュウカラ」と呼ばれる。
註4: 厳密には1878年稿について書かれたもの。恐らく第2主題について。
註5: より厳密には、フリギア旋法(教会旋法の一種)を用いたものと解釈出来る。全曲を締めくくる一連の和声進行でも同じ旋法が用いられており、この楽章に独特の翳りを添えている。